Zdjęcie (Krzysztof Kieślowski, 1968) @ Unviersity of Rochester

今回は10月1日にロチェスター大学で行われた少し変った上映会についてのレビューです。

トリコロール』三部作などの美しいフィクション映画で知られるポーランドの巨匠クシシュトフ・キェシロフスキ。しかし彼のドキュメンタリー作家としてのキャリアはあまり有名ではない。こう語るのは、今回ロチェスターを訪れたアダム・ミツキェヴィチ大学(ポーランド)のMarek Hendrykowski教授だ。彼いわくキェシロフスキの少年時代の興味は写真とドキュメンタリー映画であり、彼の「記録」する行為に対する思い入れは初期の作品に反映されているとのこと。Hendrykowski氏の訪米の目的は講演だけでなく、彼がキェシロフスキの「知られざる傑作」と讃える1968年のテレビ・ドキュメンタリーZdjęcie(『写真』)を各地で上映することだ。『写真』はキェシロフスキのプロデビュー作にもかかわらず、放映以来音声が紛失していたために作品としての評価がされてこなかった。最近ようやく音声が発見され、教授の斡旋でポーランドのテレビで再放映された。ロチェスターでの上映は、その再放映されたときのデジタル録画だったが、字幕ではなくポーランド語学科の学生による通訳を伴って上映。いささか不思議な臨場感があった。

作品は一枚の写真から始まる。
ポーランド解放の日に撮られたその写真には、二人の少年がポーランド兵の帽子とライフルを持って笑顔で写っている。写真の裏に書かれた住所を頼りに、少年たちの現在の姿を追った取材が始まる。マイクと写真を両手に持ったキェシロフスキが、まるで事件の捜査にあたる刑事のような真剣な面持ちで写真の撮られたアパートの住人に迫って行く。中庭で洗濯をしている婦人を見つけて駆け寄っていくと、何の説明もなしに彼女がひねったばかりの蛇口を閉じてしまう(もちろん雑音を消すためだが)強引なインタビュー。その強引さはユーモラスでロチェスターの観客を笑わせた。

やがて好奇心に寄せられて多くの人たちが中庭に集まると、あちこちで写真とは一見関係のない戦争の苦々しい記憶やドイツ軍の非道さについて追憶がはじまる。そうした回想に対してキェシロフスキは「この写真について知っていることを教えてください」と、写真を媒体に一定の距離を置く。やがて誰ともなしにヤンチェフスキと言う名前が浮上する。多くの人がヤンチェフスキという名前を口にする場面を細かいカットでつなげた場面は複数の記憶が交錯する過程をうまくとらえている。紆余曲折を経てようやく郊外に暮らす写真の少年のうちの一人を突き止める。アパートを訪れると本人は不在だが、彼の夫人らしき若い女性が対応する。取材の理由がわからないため当惑する夫人を横目に、キェシロフスキ一同は夫の帰りを待つために上がり込んでしまう。ここのクライマックスでは、夫人のリアルな当惑の仕方や写真を見たときの驚き方が効果的だ。夫が帰ると、今までの刑事のような捜査とは一変して、二人の出会いや未来についての希望がゆっくり語られる。フォトジェニックな夫人が面白そうにヘッドフォンを通してナガラに録音される夫の声を聞いて遊ぶ姿や、近所で遊ぶ子供の姿などがとても印象的だ。

キェシロフスキが心臓発作で倒れて15年が経った今、この作品の魅力のひとつはマイクと写真を持って走り回る26歳のキェシロフスキの姿かもしれない。キェシロフスキが学生時代のときから知り合いだというHendrykowski氏は、この作品を再び見たときには、彼が学生時代から着ていた同じセーターを着ていることに気が付いて懐かしくなったという。

1968年といえばポーランドでも隣国チェコでも共産主義政府に対するデモが活発化し、また鎮静化されていった大変な年である。芸術活動にも政府の干渉が強くなり、こうした背景を考えると一つの写真についての「真実」を複数の人々の記憶から確立するというプロセスに焦点を置いたこの作品の力強さが際立って感じられる。Hendrykowskiの言葉を借りれば、この作品は「真実」に対する渇望を描いたものだ。カメラや録音機材を撮影した映像を挿入したり、監督自身がマイクを持った被写体として現われていることも、やはり「真実」を求めるプロセスが主題だと考えると納得できる。またプロデビュー一作目から、写真と証言の弁証法を簡潔にまたユーモラスに描くキェシロフスキの手腕に驚かされた。

ポーランドでテレビ再放映された動画は、ポーランド語のままでならインターネットで配信されているようです。
s.o