Toronto International Film Festival 2012, Day 8: Review


長いブランクをあけてしまいましたが、トロント国際映画祭の報告を契機に再スタートを切りたいと思います。


今回見た映画は—『Hannah Arendt』(マルガレーテ・フォン・トロッタ)『Three Sisters』(王兵[ワン・ビン])に『The Walker』(蔡明亮[ツァイ・ミンリャン])の三本。ほかにも黒沢清監督の『Penance』(『贖罪』の国際映画祭版)を見ようと思っていたものの三日前ほどから売り切れの大好評だったため断念。


ロチェスターからトロントへは、基本的にオンタリオ湖の西岸をなめるように北上していくルートで距離にするとざっと270キロはある計算だ。ナイアガラで国境を越え(今回は幸いアメリカ出国手続きも難なく完了)、その後は延々と続く郊外住宅地を横目に4,5車線はあるQEW(Queen Elizabeth Way)をひたすら飛ばしていく。結局グーグルマップの計算通りの3時間5分でトロント中心部に到着。11時公開の『Hannah Arendt』にぎりぎり間に合った。8日にワールドプレミアムを迎えたばかりの新作であることもあってか、または二十世紀の政治哲学を代表するインテリであるハンナ・アーレントに対する関心もあってか、朝一番の上映であるにも関わらず1,500席はあるElgin Theater(1913年築、もともとはボードビル劇場)の8割は入っているように見える。



この映画はアーレントのバイオピック(伝記もの)ではあるものの彼女の生い立ちを追うわけではなく、エルサレムで行われたアイヒマン裁判に立ち会って「悪の陳腐さ」というテーゼに到達する過程とそれらを『ニューヨーカー』に発表したことで被るアメリカ、ユダヤ人社会からの痛烈なバッシングに焦点を当てたサスペンスのような作品だ。アーレントを演じるのはドイツのベテラン女優Barbara Sukowaで、彼女はやはりVon Trotta監督作品である『ローザ・ルクセンブルグ』で主演を務めたときにカンヌの主演女優賞に輝いている。アーレントが世論に抗して一人の人間として「思考」する姿は、とくに9・11以降インテリの言論への締め付けや自主検閲がはびこっている北米において共感を誘うものだ(ドイツ語で「思考」を意味する“Denken”は映画中ハイデッガーの講義によってキーワード化されている)。上映後はVon Trotta監督がプロデューサーのBettina Brokemper氏とシナリオの Pam Katz氏とともに壇上にあがり映画のコンセプトについてエネルギッシュに語った。いわくこれは20世紀の政治哲学に決定的なインパクトを残すことになるアーレントアイヒマンの対峙を追求したため、アーレントハイデッガーのメロドラマは最小限しか見せないことにしたとのこと。映画の核心となるアーレントアイヒマンの対峙は、当時の法廷供述を記録したフィルム(白黒)と彼を鋭く観察するSukowa演じるアーレントの映像(カラー)をクロスカットした変わった演出で表現している。



Q&Aでは、(声から察するに)年配の女性が熱心にアイヒマンの決して「陳腐」とはいえない「悪」を認めるよう監督に問い詰める場面があった。映画の中でアーレントを苦しめるナイーブな意見ではあるが、多くの観客はざわめいて年配の質問者をさえぎってしまったこと、また司会の担当者も途中で打ち切ってしまったため監督がこの質問に答えることができなかったことには疑問を感じる。こうした(この会場においては)異端である意見をまるで皆の総意であるかのようにもみ消してしまう習慣にも『Hannah Arendt』は抗議をしていたのではなかったのだろうかと思う。


秋晴れの快適なYonge Streetを少し歩いて午後の一つ目の会場であるCineplex Odeonに向かう。ベネチアでOrizontti(新人やドキュメンタリー映画に授与される)を受賞したばかりとあって『Three Sisters』の会場も8割がた埋まっている。上映前には王兵監督が壇上に現れ、とにかくテンポが普通の映画より遅いことを警告し、そのうえで楽しんで観てほしいとの趣旨の挨拶をする。山形映画祭でグランプリをとった9時間に及び大作『鉄西区』などからはバイタリティのある監督象が思い浮かぶが、ステージに立った王兵はグレーのTシャツと濃紺のジーパンをスマートに着こなした物腰静かなたたずまいだ。中国語のタイトルである『三姉妹』がチェーホフの戯曲にインスピレーションを受けているかどうかはわからないが、少なくとも英題は否が応でもチェーホフの名作を想起させる。チェーホフの三姉妹がロシアの地方都市でモスクワの栄華を夢見る没落貴族の末裔であるのに対して王兵の三姉妹は雲南省の農村で貧しい暮らしを営む子供たちだ。王兵がダイレクトシネマの手法で淡々と記録するのは4歳、6歳、8歳の女児たちで、彼女らが火を焚いて壊れた靴を乾かしたり、小さな体ながら見事に豚の世話をする姿などが繰り返し映し出される。チェーホフは三部を通してセットも変わらないダイナミズムを排した物語に優雅で遊び心のある台詞によって変化をつけたが、王兵は沈黙と反復を敢えて前面に出すことで、この農村に生きる子供たちの時間間隔を表現する。都市部の出稼ぎ労働者の生活は第六世代の監督によって映画のテーマとして定着した感があるが、この映画はグローバル化時代の主人公である出稼ぎ労働者ではなく、グローバル化に直接影響されながらもダイナミックな物語の影に入りがちな取り残された者たちの物語をテーマにしているようだ。



蔡明亮の上映は今年から大きく形の変わったWavelengthsというシリーズの一部として行われた。Wavelengthsは実験映画の金字塔であるマイケルスノーの作品にちなんで名づけられた実験映画の新作を紹介してきたプログラムだが、映画好きには好評だった短編を5-6本連ねたオムニバス形式を今年から改めて、中編のダブル・ビルを基本にしている。今回のプログラムでは上映時間25分間の『The Walker』の前にパゾリーニの『サロ』とマシュー・バーニーの『クレマスター』を掛け合わせたような『The Capsule』という中篇実験映画が上映された(監督はギリシャの若手映像作家Athina Rachel Tsangari)。『The Walker』(中国語タイトルは『行者』)は蔡明亮のミューズともいえる李康生をオレンジ色の僧衣をまとわせて極端にゆっくり香港の街の中を一日歩かせるというコンセプチュアルな作品だが、中国のビデオシェアリングサイト大手のYoukuが配給している点が面白い。李康生の歩く姿をみていると、素人であった彼を『青春神話』の主人公として登用した際に蔡監督が「もっと自然に歩いてくれ」という指示にたいして李は「これが僕の自然な動きなんだから、気に入らないならもう帰るよ」と返したというような逸話を思い出す。ちなみに『The Walker』は短編三部作の第二弾で、マルセイユ映画祭に出品された『No Form』の後を追うものらしい。

今年は残念ながら日帰りの参観で精一杯。
しっかりチャイナタウンでディナーを食べてからロチェスターへの帰路につく(またまた3時間5分フラットで到着)。

記事・写真 小川翔