「特別企画」 松村牧亜インタビュー (後編)

ピアノ伴奏に国境はあるか

無声映画のピアノ伴奏者は世界に約1,000人ほどいるのではないかと松村は語る。ポルデノーネで会ったベテラン伴奏者からは、全体的に伴奏者の数は増加の傾向にあると聞いたという。高度な技術と経験が求められる仕事だが、映画の伴奏だけで生活することはかなり難しいのではないかというのが松村の印象だ。BFI(British Film Institute)のような大きなフィルム・アーカイブには専属のピアニストがいるので、「プロ」の無声映画伴奏者がまったくいないとは言えないが、大概にして他にも仕事を掛け持ちしていることが多いようだ。
無声映画に国境はない、と聞いたことがあるが、無声映画の伴奏については文化間の違いがあるようだ。


「私が知っている範囲では、東海岸を拠点にしている伴奏者にはピアノを弾く人が多く、中西部や西海岸にはオルガンを弾く人が多いような印象を受けます。」


また、ニューヨークでは、ピアノソロでなく、バンドやDJ、ソロギターなど、斬新な編成での伴奏も盛んである。
同じピアノでも、会場によっては電子ピアノしか置いていないところもあるが、ピアニストとしてはやはり生ピアノが嬉しいとのことだ。ドライデンでは小さなピアノが常に置いて意ある。見た感じは古く、ドライデン専属の伴奏者(兼映画史研究者)であるフィリップ・カーリのサイレント期に対するこだわりをあらわしているようにも思えるが、詳しいことは今まで知らなかった。


「あのピアノはボールドウィンのベビーグランドと呼ばれる小さなグランドピアノで、たぶんかなり古いですね。しかも木目です。最初スタッフの方に『これです』と言われたときは、ちょっと外見にびっくりしましたが、見かけより良い楽器で、鍵盤の調整(レギュレーション)がとてもよくされていて弾きやすかったですね。古いピアノってときどきひとつだけ堅いキーがあったりとか、一度降りたら戻ってこない鍵盤があったりして、そういうのがあると困ってしまうので、そういうメカニカルな問題は全然ないピアノだったので安心しました。あと小さい割によく鳴るのでびっくりしました。」


ポルデノーネでは、隣町のサチーレにファツィオリというピアノメーカーが本拠地ならびに工場を構えていることもあり、テアトロ・ヴェルディ(メインの劇場)にはファツィオリのフルコンサートグランドが入っている。


松村の印象では、無声映画アメリカよりもヨーロッパの方が盛んなようで、イタリアやフランスでは伴奏付きの無声映画上映が盛んに行われていると聞いている。また、ヨーロッパでは、意外にもバレエの伴奏から無声映画の世界に入る人が多いと松村は教えてくれた。ロンドンやパリのバレエ・スタジオでは、ダンサーの動きに合わせた音楽をつけるために専属のピアニストがいることが珍しくないからだ。


「バレエの伴奏にも代々伝わる独特な技法、技能があり、それにはもちろん即興演奏が含まれています。無声映画伴奏ではやはり即興というのが大きなポイントですので、楽譜を見て弾くというトレーニングを長年受けて来たクラシックのピアニストの方には少し敷居が高いようです。」


他にもイギリスのベテラン伴奏者のニール・ブランドは、音楽家としてだけでなく映画役者としても活躍していたり、MoMA専属ピアノ伴奏者のベン・モデルは、コメディアンやコメディ映画の監督・プロデューサーとしての経歴を持っていたりと、多様なキャリアを持つ人が多いのもピアノ伴奏の世界の特徴だ。しかし人材がいたところで無声映画の需要がなくては仕方がない。この疑問への直接的な答えではないが、ポルデノーネ無声映画祭でも地元の小学校1、2年生を対象にチャップリンの短編を上映し、マスタークラスの受講生と講師が伴奏を披露する早期教育(?)の試みが行われているようだ(NFCニューズレター 2008年2月-3月号および松村牧亜インタビュー前編参照)。松村の本拠地・ニューヨークでも、MoMI(米国映像博物館)などでは地元小学生・大学生向けの無声映画上映プログラムが定期的に開催されており、松村もよくその伴奏を務めている。


日本での状況はどうだろう?
無声映画伴奏者の数も決して多くはない日本だが、伴奏の場となるとことさらに少ない。しかしポルデノーネのような恵まれた仕事の場がない日本でも、無声映画と生演奏を一人でも多くの人に紹介したいという熱意でもって児童を対象としたピアノ伴奏付きの無声映画上映会を独自に企画する例もあるという。日本の無声映画ピアノ伴奏の第一人者である柳下美恵も、生演奏付きの無声映画上映という文化の普及をめざして、自ら映画を(そして、ときにはプロジェクターも)借り出した上映会を開いているそうだ。ポルデノーネ映画祭も元々は個々人のつながりから始まったことを思えば、こうした個人レベルの努力にこそ大きな可能性が秘められているのかもしれない。



映画と一緒に呼吸する

様々なバックグラウンドを持ち、それゆえ伴奏スタイルも千差万別であろう現代の無声映画ピアニストであるが、それでは松村自身のスタイルはどのようなものなのだろうか。
例えば、伴奏する映画に関するリサーチは重要視しているのだろうか。それとも、どのくらいリサーチするかは伴奏者のスタイルにもよるのだろうか。


「知っていた方が助けになる情報が多いですね。ですが、ほとんどの伴奏者のみなさんは20年とか30年とか弾いてらっしゃるので、リサーチの時期を既に卒業してらっしゃるんです。私は初めて弾いたのが2003年で、しかももともとフィルム畑の出身ではないので、伴奏の仕事を頂くたびにあわてて調べて『ああ、そうなのか』と思っている感じです。」


松村は具体的な伴奏に向けてもなるべくライブという特性を活かした準備をするという。当日の会場やその日の天候、来場する観客たちのエネルギー。そういうものに反応し、ピアノを弾きながら作曲していくことに無声映画伴奏の醍醐味を感じるという。また綿密な準備をしていっても、いざピアノの前に座って弾き始めると全く違う音を弾いている自分に驚くこともしばしばあるらしい。
即興と一口にいってもその演奏方法、曲の構築方法は様々だろう。ある程度引き出しのレパートリーを増やし、その中からこのシーンにはこのテーマという風に使っていくのだろうか。


「もちろんそういうスタイルの人もいます。悲しいシーンにはこの音楽、楽しいシーンにはこの音楽、というように、映画を見る前から色々な状況を想定して“ストック・ミュージック”と呼ばれる素材を何種類も準備しておき、その中から、シーンに応じて適切な素材を選んで演奏していくというスタイルです。ただ個人的にはそういうスタイルをとる人の伴奏を何本も観ていると、例えば、ラブシーンがあると『あ、また同じラブシーンのテーマだ』と思ってしまいます。また、シーンごとにノートをつけ、どのタイミングでどんな曲を演奏するかまで細かく作り込んで演奏するというスタイルもありますが、それではその場のインスピレーションに沿って演奏することができなくなるため、私には合わないと思い採用していません。私はせっかくライブで弾いているのだから、ある程度準備はしたうえで、あとはその場で降りてきた音を弾きたいと思っています。」


自身の後方でスクリーンを見つめる観客の雰囲気を感じ取ることも無声映画伴奏の重要な一部であり、客席で起こる様々なリアクションを生で体験できることも松村にとっての楽しみのひとつだ。衝撃的なシーンでは客席がざわついたり、おかしいときには声をあげて笑ったり、「そうだよね」と思うこともあれば、「え、そこで笑うの?」と予想外のリアクションに驚くこともあるという。
そのようにして行う無声映画伴奏は、例えて言えば山登りの旅に出かけるようなものだと松村は語る。前方のスクリーン、後方の観客、その両方からフィードバックに影響を受けながらエンディングへと向かって進んで行く過程からはまるで「映画と一緒に呼吸しながら山を越えていくような」感覚を得るという。


「もちろん道筋は決まっているけどどんな景色が見えるのかなとか、途中で雨が降るのかなと思ったり。登ってみないとわからないじゃないですか。頂上に行けば景色が綺麗なのはわかっていて、また登ったら下りてこなければいけないというのも分かっているんですが、間にあるものは何があるかわからない。それに近い期待感と一抹の不安を持って毎回弾いています。しかもそれをお客さんたちと一緒に登るという気持ちでいます。」


登山に例えて伴奏のプラクティスを語る松村の話はアーティストの創作論であると同時に無声映画ピアニストが優れたアスリートでもあることを物語っていてとても興味深い。と同時に無声映画ほど上映時間のヴァリエーションに富むものも他にないだろう。短いものでは数秒、長いものでは数時間にもなる無声映画はピアニストを短距離ランナーにも長距離ランナーにもする。


「長篇は体力的に厳しいです。最近は回数を弾かせてもらえているので二時間くらいは大丈夫になりましたが。最初の小津生誕百年のイベントで弾いた『生まれてはみたけれど』は90分ほどの作品ですが、最後の10分くらいで集中力が切れて脳が情報を処理していないことを自覚しました。お客さんにはわからなかったと思いますが、自分ではショックでしたね。普通にピアノで舞台に出たら長くても30分や40分なので集中力が切れるというのは初めての経験だったんです。ですので最初の二年間はマラソン選手と同じだと思って脳に糖分を補給するため、バナナとかおにぎりとかを事前に食べていました。最近は食べなくても大丈夫なので慣れはすごいと思います。慣れてくると、持久力がつきますので、ある程度余裕を持って最初から最後まで映画に集中できるようになったと感じています。」


今年の9月に京橋の国立近代美術館フィルムセンターで行われた「シネマの冒険 闇と音楽2011」ではD.W.グリフィスの150分に及ぶ作品『嵐の孤児』の伴奏をこなしていることからも松村の長さへの適応がうかがい知れる。純粋な意味での即興性を重視する松村にとっては、いろいろなシーンを経て、音楽的にもストーリーを構築していくことができるため、ある程度の長さがある作品の方が弾きやすいようだ。

しかし、短編にもそれ独特の難しさと面白みを感じるという。昨年のニューヨーク映画祭で行われたスペインのジョルジュ・メリエスとも称される映画作家セグンド・デ・チョモンの特集上映「The Marvelous World of Sedundo de Chomón」では、松村は短いもので二分、長いもので約十分の短編計14本を伴奏するというパフォーマンスを行っている。この時の経験は作品世界にぱっと入り込む瞬発力、短時間でめまぐるしく起こるアクションへの対応力を磨く上で面白い経験となったと彼女は振り返る。

インタビューも終わりが近づいてきた。最後に上映時間とともに重要な要素であろうジャンルについても聞いてみた。松村が得意とするジャンルはあるのだろうか。


「得意というか、いただく仕事がなぜかみんなメロドラマとか悲劇とかドラマティックなものばかりなんです。チャップリンも二本くらいしか弾いたことがないですし、キートンは一本で、ハロルド・ロイドはなんてまだ一本も弾いたことないんです。なんでだろう(笑)今日の『女優ナナ』はどうでしょうね、重くも軽くもどちらにもいけるでしょうか。一応DVDは送っていただいて事前にチェックはしているんですが、やっぱり今日のお客さんの感じを見て決めたいと思います。」


帰り道

上映が終わり劇場をあとにする。が、頭の中ではまだ松村のピアノが響いているようだ。松村が話していたように、『ナナ』には軽妙な場面も多く、そうしたところではピアノのメロディも優雅で軽快だった。が、後半部の「峠」に差し掛かるあたりから、徐々に音楽にテーマのようなものが出てきたように思えた。娼婦ナナの虜になったミュファ伯爵が、周囲の忠告にもかかわらず、彼女が住む館の彼女の部屋へと続く大階段を上がっていくシーンがあるが、このあたりから松村のピアノにも、まるで勝負どころを見極めたマラソンランナーがスパートをかけるように、ぐっと力が入り始める。このナナの転落人生を予告する階段の上昇から終盤のカンカン、そしてエンディングへと物語のドラマを存分に引き立ていく伴奏は圧巻で、まさに「映画と一緒に呼吸しながら山を越えていく」ような感覚だ。ドライデン専属のカーリ氏の伴奏とはまたずいぶん違った印象の演奏を聞き、無声映画ピアノ伴奏の可能性と奥の深さを垣間見れた一夜だった。


(おわり)


今回のインタビューに際し、ジョージ・イーストマン・ハウス映画プログラマーのロリ・ドネリーさんにお世話になった。ここに記して感謝する。
We’d also like to express our gratitude to Lori Donnelly (film programmer at George Eastman House) for her help in realizing this interview.


(2011年10月5日。於スターリー・ナイツ・カフェ)
インタビュー・文責:小川翔太+河原大輔