Roaring Rails (1924, Tom Forman)

1924年ジョン・フォード作品への出演で知られる初期西部劇スター、ハリー・ケリーが後のMGMの大プロデューサー、ハント・ストロンバーグと組んで製作した鉄道もの映画。ウィキペディアでは『鉄路に轟く』という邦題になっている。ケリーとストロンバーグは計4本の映画でコンビを組んでいるが、そのうちフィルムが現存しているのは(今のところ)このRoaring Railsだけだそうだ。オランダから里帰りしてきたナイトレート・プリントをイーストマンハウスが2010年にハーゲフィルムと共同で修復、保存、ニュープリントを作成し、ようやくロチェスターでお披露目となった。ひとまずはこの映画が80年以上の時を経てよみがえったことを喜びたい。ピアノ伴奏はドライデン・シアターのサイレント映画シリーズではお馴染みのフィル・カーリ氏。

未ソフト化につき、あらすじを詳しく。
映画は第一次大戦のフランス戦線から始まる。ケリー演じる主人公ビル・ベンソンは、従軍中、戦闘に巻き込まれて負傷した母子を見つける。どうか子供をお願いしますと言い残して死んだ母の意志をつぐように、ビルは孤児となったその子を引き取ることに決める。兵役を終え帰国したビルは、子供を養子として迎え入れ、本来の仕事である鉄道機関士として働いていた。リトル・ビルと名付けられた子供は今では元気を取り戻し新しい父親であるビルにもすっかりなついていたのだが、いささかやんちゃが過ぎるのがたまにきずで、父親の職場である列車にまぎれこみ、さらにはそこから転落しそうになってしまう。ビルは息子の救出に気を取られるあいだに信号を見逃してしまい、列車の衝突事故を起こしてしまう。会社をクビになりホーボー(列車の無賃乗車を繰り返しながら放浪生活を続けるひとたちのこと。初期映画のポピュラーなモチーフのひとつ)に身を落としてしまったビル親子であったが、ある日流れ着いた町で鉄道敷設の現場で働きだすことになる。ダイナーで働く心優しい女性ノラにも出会い、親子の生活はうまくいくように思われたが、息子のいたずらのせいで再びビルはクビになってしまう。自分のせいでいつも父親が職を失うことに心を痛めた息子はビルの元を去ろうとするが、その途中、鉄道建設の妨害をもくろむライバル会社がしかけた鉄橋の爆破工作に巻き込まれ、目に大けがを負い失明の危機におちいる。手術に必要なお金をねん出するために、ビルはライバル会社の御曹司であるグレゴリーが犯した殺人の罪を被り、死刑を宣告される。しかし、罪を被る代わりに息子に手術を受けさせるという約束は無残にも破られ、それどころか息子はグレゴリーの仲間である残忍なレッド・バーリーの手に渡り虐待を受けていることが明らかになる。怒りに震えたビルは、死刑執行当日であり鉄道建設の最終期限である日にノラの助けによって脱獄を敢行し、鉄路開通第一便の機関士に志願することで列車に乗り込む。バーリーによって火を放たれた森を走り抜け、息子を無事に助け出したビルは、鉄路の最終目的駅に期限内に到達することにも成功する。グレゴリーの罪は暴かれ、ビルの無罪は証明される。到達成功の賞金を手にしたビルは、機関士の仕事に戻り、妻となったノラとふたたび目が見えるようになったリトル・ビルと幸せに暮らすのであった。

特筆すべきは、古くはリュミエールの『ラ・シオタ駅への列車の到着』から『大列車強盗』そしてつい先日公開されたトニー・スコットの『Unstoppable』(必見!)にいたるまで映画史において一貫して作られてきた鉄道ものという大きなジャンルの枠のなかに、戦争映画から西部劇、父子メロ、ロマンチック・コメディ、脱獄といったありとあらゆるジャンル的要素がちりばめられていることだろうか。父子愛の危機とその打開、ビルとノラのロマンス、鉄道会社と産業スパイの抗争、ビルとバーリーの西部劇的ライバル対決、ビルの不当逮捕と無実の証明、といった複数の物語的伏線が鉄道敷設工事の進展と並行して相互に絡み合いながら展開され、それらが鉄道工事の最終期限(物語的時限爆弾)に近づくにつれてクライマックスを迎えるよう周到に設計されている。また工事の期限日とビルの死刑執行日を同じ日に設定することで物語のサスペンスは分散することなく、一点に集中することでより効果的な高まりをみせている。プロデューサーであるストロンバーグはこの二年後にMGM(つい先日破産手続きに入ったと報道された)の創設に参加することになるのだが、1910年代後半からD.W.グリフィスによってリードされてきた古典的物語技法が一部の前衛的な映画作家の作品だけではなくより幅広いレベルに浸透し、大手スタジオ創設を前にして(またサウンドの到来を数年後に控えて)一定の完成をみていることがうかがえる。古典的物語映画への移行は列車の衝突という初期映画においてポピュラーなモチーフの扱い方にも垣間見える。ビル親子が乗った列車が別の列車と衝突するフッテージは過去の初期映画からの流用ではないかと思うのだが、それが過去のフィルムか新たに撮り直されたものかどうかはともかく、列車の衝突を単なる、独立した、ショッキングなスペクタクルとして見せるのではなく、衝突を映画のあらゆる部分は物語全体の説明にすべからく貢献するという古典的物語規範に従うものとして、つまり「ビルの不注意によって引き起こされ親子が職を失うきっかけとなる悲劇的な出来事」という物語的意味をもつ一部(シーン)として組み込んでいることが重要だ。

あとは、息子であるリトル・ビルの何と不死身なこと。戦闘に巻き込まれても、乗っていた列車が衝突しても、さらには歩いていた鉄橋が爆破されてもへこたれない。映画の中で子供は殺せないという当時の倫理観を抜きにしてもこれはなかなかおそるべきサヴァイヴ感だ。

上映日はメンバーズ・ナイトにつきイーストマン・ハウスの会員はタダで観れるということでまあまあの入り。けど、見渡す限りメンバーのほとんどは中年かそれより上の年齢のひとたちだった。上映されたのがサイレント映画だからということもあるだろうけど、会員のほとんどが高齢ということを考えると、シネマテークの将来にちょっと悲観的になった。シネマテークは、数十年後には(あるいはもっと早く)、おじいちゃんおばあちゃんが集うオールドメディアの演芸場になってしまうのだろうか。(k)

(2010年11月2日上映)