Upstream (John Ford, 1927)

ジョン・フォード1927年の監督作品。長らく失われた映画と思われていたが、2009年にニュージーランド・フィルム・アーカイブに保管されていた75本のナイトレートプリントの中の一本としてアメリ映画芸術科学アカデミーのブライアン・ミーチャムらによって発掘され、アカデミーと映画を製作した20世紀フォックスの監修によりウェリントンのPark Road Post Productionのラボラトリーで修復作業が行われた。発掘された75本のナイトレート・プリントにはこのUpstream以外にもフォードのこれまた失われた作品である1929年の作品The Strong Boyの予告編なども含まれており、これらの貴重なプリントの修復プロジェクトは、国立映画保存基金の援助のもと、アカデミーに加えてアメリカの主要アーカイブ(ジョージ・イーストマン・ハウス、アメリカ議会図書館MoMAUCLA映画テレビ・アーカイブ)が分担してあたるという大規模なものとなったそうだ。フォード幻の作品発見として話題を呼んだUpstreamは、2010年の9月にロサンゼルスの映画芸術科学アカデミーで再プレミア上映され、その後ポルデノーネ無声映画祭でも目玉作品としてお披露目された後に各地シネマテークでの巡回上映となり、ついに(!)ロチェスターまでやってきたというわけだ。

映画はヴォードヴィル芸人たちが暮らすニューヨークの下宿屋を舞台にしたシチュエーション・コメディだ。(以下あらすじ)
ミス・ブリッケンリッジの経営する俳優向け下宿屋(ボーディング・ハウスと呼ばれる賄い付きアパート)にはさまざまなヴォードヴィル芸人たちが集まっている。ナイフ投げ芸人のジャック・ラ・ヴェルはコンビを組む的役の娘ガーティに恋しているが、ガーティには別に恋仲の男がいた。その男とは同宿するエリック・ブラシンガムで、エリックは名のある演劇一家の出身でありながら演技の才能に全く恵まれない、それなのに自意識だけは人一倍強いというなんとも残念なシェイクスピア俳優であった。下宿には彼らのほかにもエリックに日々見当違いな演技指導を行う長老的存在のMandare氏やタップ・ダンスコンビ「キャラハン・アンド・キャラハン」のふたり、自称姉妹コンビを組む母とその娘(!)、ジャグラー(フォードの兄であり彼自身ヴォードヴィル俳優でもあったフランシス・フォードが演じている)、黒人の若者(大道芸人だったか使用人だったか記憶が定かじゃないのだが、相当に問題のある人種表象がなされている)などが暮らしている。
ある夜、食堂でのディナーの最中、興行師がエリックに会いに下宿を訪ねてくる。なんであんな大根役者にとざわめき立つ一同。聞けば興行師はエリックの血統のネームバリューを利用して彼を主役にロンドンでハムレットの芝居を打ちたいと言うではないか。「君がどれだけ演技ができるのかは関係ない。ブラシンガムという名前が大事なんだよ!」本場ロンドンでシェイクスピア劇を演じるチャンスを得て舞い上がるエリック。エリックの思わぬ大出世にガーティは彼がこのヴォードヴィルの吹き溜まりから自分を連れ出してくれるのではと期待し、さらには彼の「あとで君にたずねなきゃいけないことがあるから」との言葉に彼の求婚を予感し、期待は最高潮に高まる。そしていよいよふたりきりになったとき、エリックはガーティに歩み寄り、口を開く。「よかったら僕の・・・僕の・・・・・・旅費のために50ドル貸してくれない?」期待を打ち砕かれたガーティは傷心して部屋にこもってしまい、エリックは一人揚々とロンドンへ向かう。
ロンドンでの舞台初日。極度の緊張から台詞を忘れそうになり不安でいっぱいのエリックであったが、Mandare氏の教えを思い出すことで自らを鼓舞する。いざ本番。すると、なんとも不思議なことに、アメリカでは大根と称された彼の演技がロンドンの観客には新鮮に映り、熱狂的に迎え入れられてしまう。鳴りやまない拍手。王室のお墨付きも得たエリックはセンセーションを巻き起こし、一夜にしてスターの地位に昇り詰める。
そのころニューヨークでは、ガーティは自分を置いて行ったエリックを忘れようとしていた。そんなとき、仕事上のパートナーであり自分に思いを寄せるジャックの優しさに触れ、彼の求婚を受け入れる。その様子をこっそり見ていた下宿の住人達はふたりを祝福する。トップ・スターとなったエリックにはアメリカへの凱旋帰国の企画が持ち上がる。エリックはそれなら自分が下積み時代を過ごした下宿を訪れて、凱旋する様子を撮影しようではないかと提案する。
ガーティとジャックの結婚パーティ。一同が楽しげに記念写真におさまっているところへエリックが登場する。ふたりの結婚のことを知らないエリックは、自分の凱旋を皆が祝っていると勘違いしてすっかり天狗になり、カメラの前で得意げにポーズをとってみせる。「このカメラは君を撮ってるんじゃないんだよ、エリック。僕たち結婚するんだよ」とジャック。事実を知ったエリックはあわてて自分への思いを取り戻そうとガーティに迫り寄るが、ジャックに階段から蹴落とされ、下宿の外につまみ出されてしまう。外ではエリックが引き連れて来たカメラマンたちが彼がつまみ出される様子を撮影している。格好の悪いところを撮られたことに憤慨しながら、エリックは情けない様子で下宿を後にするのだった。


大衆的なヴォードヴィルと高級な古典演劇、ニューヨークとロンドンといった文化的かつ地理的な対比から最終的には肯定される芸人コミュニティの物語にフォードの強烈なアメリカニズムを嗅ぎ取ることは可能だろう(そしてもちろん外なる他者としてのイギリスだけでなく、内なる他者としての下宿の黒人キャラクターがその白いコミュニティ幻想を強化していることも)。が、個人的に感じ入ったのは、それぞれの登場人物のキャラ立ちの素晴らしさに加えて、その簡潔にして見事な空間設計。例えば、最初の食事シーンでは、二階で練習中のタップダンスコンビの部屋の真下に食堂があるという一見極めてシンプルな垂直構造をとっているが、実際その垂直線上には、上から順に、タップダンサーが踊り、そのせいできしみ今にも崩れ落ちようとしている天井があり、その真下のテーブルでは男女の会話が進行し、さらにテーブルの下では何人かが足を使って誘惑に興じてる、という複数の階層化された空間が生起しており、同時進行かつお互いが複雑に絡み合うそれらの空間が効率的かつテンポよく繋がれひとつのシーンとして成立していく様には素直な感動があった。こうした過度のシンプルさが生むラジカルな魅力は、例えば、撮影セットのゴージャスさに溺れてしまった感のある三谷幸喜の『有頂天ホテル』には徹底して欠けているものではなかろうか。(k)

(2011年1月29日上映)


ひさしぶりの大発見とニュージーランド・プロジェクトと名付けられたフィルム修復プロジェクトの経緯については以下のリンクおよび動画でも詳しく知ることができます。

New Zealand Project Films, National Film Preservation Foundation:
http://www.filmpreservation.org/preserved-films/new-zealand-project-films-highlights