「特別企画」 ジョナス・メカス特集  パート1 『WTC』(2010)

自称旅嫌い、アバンギャルド映画の「ゴッドファーザー」と呼ばれる89歳の巨匠。イーストマン・ハウスの栄誉賞受賞のため本拠地マンハッタンよりハドソン川沿いを電車ではるばる下ってきたジョナス・メカス。パート1の今回は彼の最新作『WTC』(2010)について。パート2以降はメカスとのインタビューの内容をアップしていく。

メカスの経歴を(無理を承知で)要約。
1922年、リトアニアの農家に生まれる。
1944年にはナチスドイツの労働キャンプに収容され、終戦後も1949年の渡米までdisplaced persons campですごす。ニューヨークに着くなりすぐBolex 16mmカメラを購入。
1958年Village Voice紙でMovie Journalと題した映画批評をはじめ、
1964年には、Stan Brakhageを含む同志と前衛映画の製作から上映までを補助する相互扶助組織Filmmakers’ Co-operativeを結成。その後、Brakhageとやはり前衛作家のP. Adam Sitney, Peter Kubelkaを巻き込んでThe Anthology Film Archiveを結成。前衛映画の修復・保存・上映に力を入れる。
アンディ・ウォーホルをはじめ様々な映像作家を紹介してきた功績が知られるが、メカス自身も精力的に映画製作を続け、特有のダイアリー・フィルムという形式を打ち出した。最近は自らのウェブサイトに定期的にビデオ・ダイアリーをアップロード。2007年には365日欠かさず毎日一本のショートを作成・公開している。

さて、今回上映の『WTC』のタイトルはもちろん9・11で倒壊したWorld Trade Centerの通称。
1970年代から2000年までに彼が撮った膨大な映像のなかからWTCが写っているものを拾って編集した作品。ウォーホルやリチャード・セラなど芸術家仲間の「スナップショット」。その背景に写るWTC。カトリックのパレードの背景にあるWTC。大雪の街中でスキーをしたり、路肩でスイカを食べたり、家族や友達との普通の生活を記録した映像。そのなかに何気なく「存在」するWTC。
この作品は決してWTCが写ったものを無機質に並べた構造主義的なものではない。
WTCのショットの前後の何気ない生活の一場面を叙述的に連ねたビジュアル・ポエトリーだ。
詩的な印象は、メランコリックな即興のピアノによって際立たせられる。

「モニュメント」でも「象徴」でもなく単に存在するWTC。
何気ない「存在」とは、メカスの映像哲学とも共通するテーマかもしれない。
上映後に行われたQ&Aでは、所蔵していたフィルムの色が変化してきたことに対する危機感からこの作品が生まれたこと、フィルムを調べるうちに何気なく存在するWTCに気づいたこと、そして印象的なピアノは、フィリップ・グラスがAnthologyで演奏した際に自ら持ち込んだものを友人のアーティストが何気なく弾いたものであることなどを陽気に語った。グラスが置きっぱなしにしたピアノ。それに惹きつけられるように即興をはじめたメカスの若い友人August。そして、こうした歴史を思いつくままに紹介するメカスの即興。「最近の前衛映画の代表的作家は?」という質問には厳しく「そういうリストはつくれない」ことを強調し、つねにオープンに先入観を持たずに現在を観ることへのこだわりを見せた。
デジタル化が進む映像業界についても、「It’s all great!」と、60年代の前衛精神を体現するような肯定的なメッセージで答えた。(S.O)
(2011年4月8日上映)