「特別企画」 ジョナス・メカス特集 パート3 「フィリップ・グラスからの手紙」

自身のマニフェストを読み上げたジョナス・メカスの受賞スピーチは、彼が優れたアジテーターであり、オーガナイザーでもあり、そして、やはり、偉大な詩人であることを改めて感じさせてくれるすばらしいものだった。プレゼンターとして授賞式に出席した映画監督であり批評家でもあるピーター・ボグダノヴィッチが「ジョナスは偉大なencourager(励まして背中を押してくれるひと)なんだ」と言っていたが、彼の力強く美しい生の言葉に触れると、「場」をつくりだす名人であるメカスのもとにアーティストたちが自然と集まってくることが身体のレベルで納得できる。もちろんメカス本人はそんな過剰な賞賛にも「だれもやるひとがいなかったから私がやっただけさ」とあっさりと答えるだけなのだが。

作曲家であるフィリップ・グラスもそんなアーティストのうちのひとりだ。今回の栄誉賞受賞イベントのために特別ゲストとしてここロチェスターへかけつける予定だったが、3・11地震の被災地支援のためにニューヨークシティのジャパン・ソサエティで行われたチャリティ・コンサートに出演することになり、やむなく出席をとりやめることになったそうだ。(ちなみに、このジャパン・ソサエティでのコンサートにはグラスの他にもローリー・アンダーソンルー・リード坂本龍一など多くのミュージシャンが参加し、計12時間にもおよぶ大規模なものとなったという。)もちろん、長年日本で暮らしていた、そしてまたいつか暮らすことになるだろう者としては被災地支援のためにコンサートへの参加を決めたグラスの選択を尊重し、また感謝したいと思う。それと同時に、今回の災害が、国を超え遠く離れたこの場所で、間違いなく素晴らしいものになったであろうふたりの邂逅(といってもふたりともニューヨーカーで頻繁に会ってはいるのだろうけど)の機会を奪う不幸な出来事でもあったことを思い知る。

残念ながら出席は叶わなかったが、式の冒頭でグラスからの祝辞が代読されたのでここに紹介したい。簡潔でありながら、その中からも若きグラスがメカスから受けた物心両面のサポートに対する感謝と親愛が伝わってくる素敵なメッセージになっています。

ジョナスは、1950年代から60年代にかけて、ニューヨークのダウンタウンにおけるアート・音楽・映画・ダンス界の立役者のひとりでした。ウースター通り80番地にあった彼のシネマテークは、私を含めた当時のフィルムメーカー、作曲家、演劇関係者たちにとって、親身になってくれる幸せな集いの場となっていました。私はそこで演劇界の革新者として有名なリチャード・フォアマンに初めて会い、1968年秋の私にとって初めてのニューヨークでのコンサートが行われたのもそのシネマテークでした。のちにジョナスが二番街とセカンド・ストリートの交差点にあるアンソロジー・フィルム・アーカイヴに献身することになった後も、当時私とあと数人のメンバーで始めたばかりの音楽フェスティバルであるミュージック・アット・アンソロジー(MATA)のための場所を提供してくれました。それからMATAはややアップタウン寄りの西側、チェルシー地区に移りつつ、わずか10年の間にニューヨークにおける最新の音楽シーンの中心となりました。MATAの最初の数シーズンがジョナスとアンソロジーアーカイブによって主催されことをわたしたちは忘れることはないでしょう。つまり私が言いたいのは、ジョナスはわたしたちの人生にとって、そしてアメリカ人の人生にとって、常に、替えがきかないと言えるほど重要な存在であったということです。ジョナスに心からの感謝をこめて。彼がわれわれと共に生き長らえ、その愛と喜びをもたらさんことを。

フィリップ・グラス


Jonas was one of the founders of the downtown art, music, film, dance world in NYC in the 1950s into the 60s. His cinematheque at 80 Wooster street was a willing and happy host to the filmmakers, the composers and theater people including myself in those years. I first met Richard Foreman, the noted theater innovator there at Jonas' place. My first New York concert took place there in the fall of 1968. Later after he agreed to establish himself at the Anthology Film Archive at the 2nd Avenue and 2nd St, he provided a home for the fledgling matter of music festival that's Music at Anthology, MATA, founded by myself and several others. Then in just ten years, MATA has become the mainstay of New York's new and newer music scene, having moved slightly uptown to the west side, the Chelsea area. Our first several seasons were hosted by Jonas and Anthology and we won't forget that. All this is to say that Jonas was in continuous to be an essential if not irreplaceable part of our lives and the lives of Americans. Many many thanks to Jonas. Long may he live among us, bringing with him his love and good cheer.

Philip Glass

なお、訳出にあたって翻訳者である高久聡明さんにアドバイスをいただきました。ここに感謝します。(k)

(2011年4月9日)