Joan Crawford's Home Movies (circa 1939-1942)

先日上映されたジョーン・クロフォードのホーム・ムービーについて。

ジョーン・クロフォードのホーム・ムービーの発見は1997年に当時ジョージ・イーストマン・ハウス映画部門キュレーターであったパオロ・ケルキ・ウサイが受け取った一本の電話から始まる。電話の主はケイシー・ラロンド氏。ジョーン・クロフォードが1947年に養子に迎えた双子のうちのひとりであるキャシー・クロフォード(結婚後ラロンド性)の息子、つまりジョーンの孫にあたる人物である。彼がヴァージニア州にある大学院へ進学するため実家を離れることになり、荷物整理をしていた際、地下室にフィルム缶があるのを偶然見つけた。どうやら1977年に死去した祖母ジョーンの遺品であることはわかったが、彼はもちろん母のキャシーもそのフィルムを観たことがないと言う。ついては20年間眠っていたそのフィルムの中身を調べたいので協力してもらえないだろうか、というのが電話の用件だった。ウサイはフィルムの調査を快諾し、イーストマン・ハウスに郵送するよう伝えた。間もなくラロンド氏から送られてきたフィルム缶には1935年にコダックが発売を開始したアマチュア用フルカラーフィルムである16mmコダクローム・フィルム(サイレント)で撮影されたホーム・ムービー二時間半分が収められており、調査の結果、その多くが祖母ジョーンとその家族が被写体となったものであることがわかった。

フィルム・アーカイブがホーム・ムービーを収集することは少ない。ジョージ・イーストマン・ハウスでも創業者のジョージ・イーストマンや地元ロチェスターニューヨーク州などにかかわりのあるものでない限りホーム・ムービーが修復され、そのコレクションに加わることはなかなかないらしい。しかし、同じホーム・ムービーといえど、それがジョーン・クロフォードのものとなれば話は別である。2005年には全米映画保存基金(National Film Preservation Foundation)の助成を受け、ラロンド氏によって発見されたすべてのフィルムの修復が行われることになった。今回上映されたのは25分ほどのダイジェスト版で、これまでにもMoMAUCLA、大手映画チャンネルであるターナー・クラシック・ムービーが主催するTCM映画祭で上映されたとのこと。ホーム・ムービーの鑑賞においてはその中に映っている(今回のケースでいえばクロフォード以外の)人物の特定が難しいことが多いのだが、今回は幸運にも特別ゲストとして招かれたラロンド氏の解説つきで観ることができた。上映されたフッテージと彼の解説をここに紹介し、シェアすることで、将来、この映像がより広く公開されたときの鑑賞の助けとなればうれしい。

ラロンド氏の推測によればホーム・ムービーが撮影されたのは1939年から1942年にかけてであり、これをクロフォードのキャリアと照らし合わせてみると、彼女が1943年にワーナー・ブラザーズに移籍する前のMGMでの最後の数年間にあたる。この頃のクロフォードは、ギャランティは高いがかつてほど興行成績が振るわくなった女優として徐々にMGM幹部の信頼を失い、最終的には契約を途中で打ち切られる憂き目に遭っている。しかし、興行面以外に目を向ければ、そのキャリアの充実ぶりが直ちに窺い知れる。とりわけ、女優の魅力を引き出すことにかけては定評のあったジョージ・キューカー作品への出演がこの時期に集中していることは注目に値するだろう。それ以前にも、クレジットこそされていないもののキューカーが共同監督としてかかわった1935年の『男子牽制』No More Ladiesに主演していたクロフォードだが、この時期には1939年にノーマ・シアラーロザリンド・ラッセルらオール女性キャストが話題を呼んだ『女性たち』The Womenに出演したのを始め、翌40年にはフレドリック・マーチと共演したコメディSusan and God(筆者は未見)、そして41年には顔に負った火傷の痕に苦悩する女性の演技が当時の批評家の賞賛を呼んだ『女の顔』A Woman's Faceと連続して主演している。また、この少し前になるが、1937年には女性映画監督ドロシー・アーズナーの『花嫁は紅衣装』The Bride Wore Redにも主演していることと併せて考えると、ワーナーに移籍した後の1945年の作品『ミルドレッド・ピアース』で完成したとされる女性映画のキャンプ・アイコンというクロフォードのスター・イメージが、キューカーやアーズナーそしてふたりのクイア的感性とのコラボレーションを通して萌芽していたのがこの時期だとも言えるかもしれない。

肝心の中身はというと、まず始めに、クロフォードが当時の恋人であったチャールズ・マッケイブとアップ・ステイト・ニューヨークの湖やハドソン渓谷で休暇を過ごすフッテージが見せられる。マッケイブが長く狩猟クラブの会員であったため、クロフォードが彼とともに狩りを楽しむ様子を記録したフッテージも含まれており、『ミルドレッド・ピアース』や『大砂塵』といった映画の外でも彼女がショットガンを手にする姿に観客からほほえましいため息があがる。今回発見されたフィルムの主な撮影者であるマッケイブだが、クロフォードの華麗なる(?)スキャンダル史のなかでは目立たない存在である。ラロンド氏が発見したフィルム缶のいくつかには「チャールズと私」と記したテープが貼ってあったものの、生前のクロフォードが彼について語ることはなく、チャールズとは一体誰なのかを調べることからリサーチを始めたそうだ。その結果、唯一見つかった小さなゴシップ記事から、彼がチャールズ・マッケイブというデイリー・ミラー誌に勤める非常に裕福な人物であることがわかった。また彼には妻子がおり、クロフォードとは当時不倫関係にあった。彼の妻は最後まで離婚を承諾せず、クロフォードは彼との関係を終わらせた後、1942年月に俳優のフィリップ・テリーと三度目の結婚をしている。彼女がマッケイブについて語ることがなかったのもそうした事情によるのかもしれないが、フィルムを終生保管していたということは彼女にとって何か大事な意味があったのだろうかと想像させる。

戦前のマンハッタンを55ストリートの東側にあるビルの上階から、カメラをパンさせて、撮影した記録映像としても興味深いフッテージに続いて、当時クロフォードの唯一の養子であったクリスティーナがスクリーンに映し出される。マッケイブからもらったと思われるプレゼントにキスをしたり、屋上で裸で日光浴にいそしむクロフォードの周りでよちよち歩きをしたり、プールで母と水遊びをする様子が記録されている。クリスティーナを語る以上、彼女が巻き起こしたスキャンダルに触れておかなければならないだろう。母ジョーンの死後の1978年に、クリスティーナは遺産問題のもつれからMommie Dearestを出版し、その中でジョーンが幼児虐待をしていたことや彼女が人種差別主義者であったことを告発したのだ。セレブリティに関する暴露本のさきがけとなったこの本は、当時社会問題となっていた幼児虐待への関心とともに、大反響を巻き起こしフェイ・ダナウェイ主演で映画化もされた。ジョーンが母としてクリスティーナと幸せそうに過ごす様子を繰り返し見せ、クリスティーナの誕生日会に黒人の女の子が招かれていることを繰り返し強調するのには、Mommie Dearestでイメージが傷ついてしまった祖母の名誉回復を果たしたいというラロンド氏の願いがあるのだろう。もちろん、見せられたフッテージの選択には多少恣意的なものを感じたし、それ以外には何が映っているのかというゴシップ心が湧かないわけではない。スター・イメージを巡る論争が、今もこうして、草の根レベルで、続いていることは興味深いけれども、このホーム・ムービーに事の真相を明らかにすることを期待しても仕様がない。そこにはただ薄いメイクアップで、自然光に照らされ、映画の中のように口をぐっと真一文字に結んだりせず、リラックスした様子でカメラに収まるジョーン・クロフォードとその周辺のひとたちの日常の断片がコダクローム独特の深い発色とともに記録されているだけだ。

その他にも、クロフォードがMGMでの彼女のボディ・ダブルであり友人でもあったシルヴィア・ラマーと、自宅の裏庭で、同じ衣装を着てカメラの前でおどける様子や、クロフォードがフィリップ・テリーとの結婚後に養子に迎えたものの、生みの母からの要求で返還せざるを得なかった「最初のクリストファー」と彼女が呼ぶ男の子の赤ちゃんに彼女がミルクをあげる様子を記録したフッテージが上映された。ハリウッド・スターのプライベートへの好奇心をそそるだけでなく、当時の出演シーンのすべてが白黒映像であったクロフォードをフルカラーで観ることができる点でも興味深い。また当時発売間もなかった1930年代後半のコダクローム・フィルムの映像を確かめることのできる貴重な資料だとも言えるだろう。(k)

(2011年5月10日上映)