The Doorway to Hell (Archie Mayo, 1930)

今月からAFI(American Film Institute)やTribeca Film Festival、Boston Asian- American Film Festivalなどで活躍していたLori Donnelly氏によるプログラムが始まった。記念すべく(?)第一作目はジェームズ・キャグニーの共演が光るギャング映画だ。NY生まれのアイルランドアメリカ人のキャグニーはギャング映画の名優になるが、この映画はデビューからたった二作目。Rowland Brownの脚本がオスカーにノミネートされるなど決していい加減な作品ではないのに、やはりキャグニー主演の『汚れた顔の天使』(1932)やギャング映画の代名詞的な作品『暗黒街の顔役(Scarface)』に比べて日の目をみない作品だ。Donnelly氏の紹介によるとこの映画のプリントは今のところDrydenが所蔵するものだけだということ。

やや劣化した画質でまず映し出されるのはVitaphoneの商標である。Vitaphoneはいわゆるsound-on-disc形式のサウンドシステムで、 Warner Bros.と提携して史上初のオールトーキー『ジャズ・シンガー』(1927)を打ち出したことで知られる。Sound-on-discとはサイレントの投影機に連動したレコードプレーヤーのようなものによって音を再生するシステムだが、レコードが飛べば当然シンクロが狂ってしまうという欠点を持ったもので、Warner Bros.も1930年でVitaphoneを打ち切っている(その後は現在のようなsound-on-film形式に移行)。つまり、今夜上映の『The Doorway to Hell』はキャグニーの好演やBrownのオスカー賞候補を別にしても、Vitaphoneによる映画の再後期作品として貴重な映画だと言える。もうひとつ時代背景で大切なのが禁酒法とヘイズ・コード(正式にはMPPC:The Motion Picture Production Code)だ。前者は1920年から1933年までSpeak-easyと言われる違法の酒場や密酒製造の文化と絡んでギャングの巨大組織化の基礎を作ったものだ。後者はやはり1930年(この作品公開の半年前にあたる3月より有効)から始まった映画の自主検閲ガイドラインだが、禁酒法がギャングの組織を生んだようにヘイズコードによる拘束は暴力や性描写を婉曲に画く様々な表現作法を生んだと言われる。なんにしてもこの二つの制度はギャング映画の土台となるものだ。
さて、本作品の内容だが、Lew Ayresの演じるChicagoのギャング頭目Louie Ricarnoが密酒製造者間の争いを終結させる大業をなし、フロリダに隠れて自伝を書こうとするというギャング映画としては変化球ともいえるものだ。キャグニーの演じるのはLouieの右腕であるMileawayだが、このキャラクターもただの有能な部下ではなくLouieの妻であるDorisと隠れて情事を持つ大胆な男だ。Chicagoで築いた財産で温和な日々をおくるLouieを再び争いが激化するなかで焦った酒造者たちはなんとか引き戻そうと苦心する。結果Louieの唯一の肉親である弟の誘拐を試みるが、思わぬ事態で彼を交通事故で死なせてしまう。映画の後半はLouieによる容赦のない復習劇だが、やがて刑事が動き出しDorisと恋人関係にあるMileawayの弱みに付け込み彼を逮捕し、一連の復習劇の犯人として供述させることになる。MileawayにとってはLouieがDorisとの関係を疑ることもなく、また彼に恩を着せることもできる魂胆だが、Louieもすでに逮捕・起訴されていることを知ることになる。大胆にもLouieは脱走してしまうが、実はこの脱走はLouieに潰された密酒業者一味による陰謀であり、ついに彼は追い詰められて死を覚悟する、というところで映画は幕を閉じる。ちなみにLouieはDorisとMileawayの関係にまったく鈍感で、取り囲まれた隠れ家の中で交わす刑事との会話で、彼の死後Dorisの面倒をみるようにMileawayに伝えてもらうよう頼んだうえ、刑事が皮肉をこめて「言われなくてもそうするだろうよ」などと切り替えしてもそれが友情の証だと勘違いしてしまうというように笑いを誘う。やや変化球気味ではあるが、クライマックスで刑事はLouieに「お前は社会悪だからこうして死んでもらうより仕様がない」などと言わせたり、そもそもギャングの栄光からの転落を見せるなどヘイズコードに迎合した内容であることも確かである。同様に、DorisとMileawayの情事も大胆に画かれる反面、やはり刑事がそのことを逆手にMileawayを追い詰めることで「悪事」は裁かれなければならないというヘイズコードの原則を守っている。ちなみにフロリダに逃れて自伝を書くというややスリルに欠ける内容は、映画のモデルとなったJohnny Torrioという実物のギャングの話にちなんだものだとのこと。(Torrioは有名なAl Capone以前に一世風靡した頭目

最後に余談だが、最近マンハッタンにギャングスター博物館がオープンしたというニュースを読んだ。BBCのインタビューにたいして博物館オーナーでありspeak-easy(禁酒時代の酒場)のオーナーの末裔を名乗る男は熱心にギャング文化がアメリカ文化の代表格であることを語っている。彼曰く、アメリカを支える自由(Liberty)という理想と法治国家として(ましてやピューリタン文化圏として)の法遵守という義務との葛藤をあぶりだすギャングという現象は、アメリカ文化以外なにものでもないとのこと。この葛藤は禁酒法によって激化されたものだが(酒を飲む自由とピューリタン的な禁酒法の束縛との葛藤)映画を例にとっても言論の自由と(ヨーロッパなどに比べて)厳しいレーティングによる束縛との葛藤として継承されている。
(2011年3月1日上映) S.O