「特別企画」 ジョナス・メカス特集 パート4 「インタビュー (後編)」

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引き続き4月上旬にイーストマン・ハウスを訪れたジョナス・メカスへのインタビューの様子をお届けします。

ワインも3杯目にさしかかるころ、イーストマン・スクール・オブ・ミュージックでドイツ映画を研究するラインヒルド・スタイングローバーも登場。メカスのフランクなスタイルもあり、話はさまざまな方面に広がっていった。

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  ――映画製作をはじめたきっかけについて聞かせてください。


メカス: ニューヨークに着いて二週間たらずでカメラを買ったんだ。アメリカに来たのは1949年のこと。移民としてではなく「避難民」(displaced persons)としてだ。2,000人近くの避難民とアメリカ海軍の船でニューヨークに着いた。*1


  ――そしてすぐ映画を作った?


メカス: わたしは「映画」というものは『Guns of the Trees』という一本しか作っていないんだ。*2つまりシナリオから始まる「映画」というものは一本だけで、残りの作品は「映画」としては撮っていない。いわゆる「映画」は、計画から始まり、シナリオを書いて、順序をたててつくるものだからだ。わたしはそうしたことはしない。第一作目でそうしたことをしたのは、やはり映画製作者(filmmaker)になりたかったからだけど、それっきりきっぱり辞めた。あとはずっとフィルマー(filmer)として映像をつくってきた。


  ――『The Brig』も映画ではない?


メカス: 『The Brig』は劇を観て、これはシネマ・ベリテ風に記録しようとおもった。わたしのコメントを加えるつもりでね。*3あの劇に対するわたしのリアクションがある。そのリアクションが作品になる。じつはわたしはあの劇を破壊してしまった!彼らは何遍もリハーサルを積み重ね、緻密に計画された動きをしているのに、そこにわたしが入っていって真ん中にカメラを据える。彼らの動きを完全に妨害してしまう。でもそのおかげであの作品は成り立った。何十回も積み重ねてきた動きをわたしが壊してしまったので、かれらは突如リアルに行動せざるを得なかった。


  ――あなた自身は、いわゆる「映画」をつくる 映画監督ではなくフィルマー(filmer)だと言われました。その観点からダイアリー・フィルム(diary film)という名称は気に入っていますか?


メカス: たとえば「文学」(literature)のなかでダイアリーあるいはエッセーという形式の起源を求めれば、聖アウグスティヌスの『告白』、ルソーの『告白』、あるいはジョルジョ・ヴァサーリの芸術家『列伝』に行きつくかもしれない。また航海の過程を毎日記録する船記というジャンルもある。「文学」ひとつとってもさまざまな形態があるが、映画でもそれは同様だ。ダイアリーという形式はダンスにもあるし、音楽にもある。ボブ・ディランにハーモニカを教えたメル・ライマンはほかのミュージシャンとの交流を細かくメモをするのが好きだった。わたしも自分を取り囲む世界を叙述している。


  ――あなたは音楽に詳しいだけでなく、演奏もされます。*4ずばりあなたにとって音楽とは?


メカス: 子供のころから音楽は生活の一部だった。わたしは農家で育ったが、歌は農家では大切なものだった。父は民芸楽器も作っていた。


  ――今晩の授賞式ではフィリップ・グラスからの祝電が届いていました。グラスはアンソロジーでNYデビューをしたと聞いていますが、ジョン・ケージとの付き合いもあったのですか?


メカス: ケージとの付き合いはちょっと変わってるんだ。アンソロジーが入っている建物を購入したとき、保存状況が劣悪だったため修復資金集めをするはめになった。1981年のことだ。有名作家にアートを提供してもらうというアイディアがあって、ヨーゼフ・ボイスにあたってみた。彼は提供したい作品はあるが、それはすでにケージにプレゼントしてしまったと言う。ケージから取り返してくれたらサインをするというので、ケージにかけあったというわけだ...今の話はうそで、本当はもっと前からの付き合いだ。わたしがニューヨーク市から建物を購入する権利を争っているときに多大な力を貸してくれた。


  ――ケージの有名な『4分33秒』で音楽と時間に関して探究しました。さきほど、映画と時間についての話がでましたが、最近は美術館で映画が上映されることが多いですね。見るひとによっては数秒だけ見て次の展示に移るというようなこともあります。


メカス: ギャラリーで上映する映画は映画館の映画とはまったくべつものだ。インターネット配信やDVDの映像も同様だ。インスタレーションでは、例えば14から16の映像を同時に上映するということを試みる。ギャラリーに来るひとたちはそれらを観てそれぞれ自分自身でエディティングできるからだ。どのスクリーンを最初に見るか。数秒たったら、次のスクリーンに目を移してまた数秒間。そしてまた次のスクリーンへ。こうした状況は一つのスクリーンの映像を集中して観る映画館での状況とはまったく違う。最初から視聴者自身がエディティングをするものと踏まえて計画する必要がある。彼らが編集する材料をあたえるのがアーティストの仕事だ。


  ――映画と時間といえば、ホリス・フランプトンの『Les』があります。時間に関する究極の映画と自称した、いわゆる一秒映画です。タイトルは写真家のレス・クリムスへのオマージュですね。


メカス: 一秒映画なら、フラクサスのディック・ヒギンズが1962年にすでに撮っている。フランプトンも知っていたはずだ。ヒギンズの映画はプレイボーイマガジンのヒュー・ヘフナーがフィルムメーカーズ・コープから借りていき、その一秒をまるまる切り取ってもどしてきた。射精の場面を写した『Plump』という作品だ。それをプレイボーイが盗んだ!


  ――一秒映画のなかのひとコマが抜けて戻ってきたのですか?


メカス: いや、一秒映画のその一秒間がまるまる抜けていた。


  ――皮肉にもヒュー・ヘフナーは、イーストマン・ハウス、フィルム保存プログラムのパトロンです。


メカス: 彼はヒギンズ早期の傑作を壊してしまった!


  ――フラクサスのメンバーとは個人的な付き合いはありましたか?


メカス: (苦笑い)腐れ縁というべきか、意外にも深い付き合いだね。ジョージ・マチューナスは17歳のときから知っていた。まだフラクサスなんてなかったころだ。彼のデザイナーとしての初めての仕事は『フィルム・カルチャー』*5で使った何かだったと思う。


  ――ところでベルリンにフラクサス・ミュージアムができたのをご存知ですか?


メカス: 本当かい?いったい何が展示されているんだろう。大概のものはMoMAのシルバーマン・コレクション(Gilbert and Lila Silverman Collection)にあるし、ほかにはシュツットガルドに大きなフラクサス・コレクションがあるはずだ。シルバーマンはおもしろい人で、デトロイトの銀行家だったんだけどフラクサスの作品というよりもマチューナス自身にとても関心をもってコレクションを築いたんだ。彼にしてみればマチューナスこそフラクサスそのものだったみたいだ。わたしもフラクサスの作品はマチューナスから受け継いだ2,800点を持っているが、それらはリトアニアにある。

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深夜になるまでインタビューに付き合ってくれたお礼を言うと、「もうあがりかい?いつものベッドタイムは朝3時なんだけどな」と元気に答えてくれた。バーは12時に閉まるので、と同席したアンソニー・バノンが物足りなそうなメカスをなだめると、軽快にダンス・ステップを踏んでまだ宵の口だとアピール。偉大な芸術家兼オーガナイザーの根幹にある力強いエネルギーを感じさせられた。

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(終)


(2011年4月8日。於ハイアット・ホテル。S.O and k)

*1:1944年ジョナスと弟アドルファスともにナチス・ドイツで強制労働キャンプに収容される。終戦とともに解放されるがソ連下のリトアニアには戻れず、1949年に国連難民機関を通してニューヨークに移住する。詳しくはこちら

*2:1961年発表『Guns of the Trees』はロバート・フランク/アルフレッド・レスリーの『Pull My Daisy』に代表されるビート・ジェネレーション映画に感化された長編映画http://www.sensesofcinema.com/2005/great-directors/mekas/

*3:1963年に「The Living Theater」で上演された海兵隊拘置所に関する実験劇を1964年に映画化。ベネチア映画際ドキュメンタリー部門グランド・プライズ受賞

*4:今回のインタビューでも同席した皆に親切に彼のバンドJonas Mekas & FriendsのCD/DVDを配っていた。メカスの音楽活動に関する詳細はこちら

*5:『フィルム・カルチャー』は1954年にメカス兄弟が創刊した実験映画やインディペンデント映画に関する雑誌。