What Price Hollywood? (George Cukor, 1932)

先月から始まった脚本家ローランド・ブラウン特集のトリを飾るのは、1932年にパラマウントからRKOに移ったジョージ・キューカーが移籍第一作として撮った作品『栄光のハリウッド』What Price Hollywood?。本作品のプロデューサーであるデヴィッド・O・セルズニックが1937年にウィリアム・ウェルマンを起用して製作した『スタア誕生』A Star Is Bornの元になったとされる、ひとりの女優の人生を通じて夢の工場ハリウッドの理想と現実を描いた作品だ。ちなみに『スタア誕生』は1954年にはセルズニックとキューカーのコンビによってシュディ・ガーランド主演でリメイクされ、70年代の再リメイクを経て、つい最近ではビヨンセ主演クリント・イーストウッド監督での製作が噂されたのが記憶に新しいところ。また、脚本にはローランド・ブラウンを含め計四名がクレジットされているが、上映前の説明によれば、一度完成した脚本で撮影が既に開始していたものの、脚本の練り直しの必要を感じた製作陣が急きょ助っ人として呼んだ二名のうちのひとりがブラウンだとのこと。

当時RKOのプロデューサーだったセルズニックは、ハリウッド女優を夢見るウェイトレスの主人公メアリー・エバンス役に当時トーキーの到来とともにキャリアが低迷していたサイレント・スターのクララ・バウを起用することで本作を彼女のカムバック作品にしようと目論んでいたらしい。しかしバウのアルコール問題などもありうまくいかず、また、そうこうしているうちにバウがフォックス社と二本契約を結んでしまたので断念し、代わりにMGMからRKOに移籍してきたばかりの女優コンスタンス・ベネットが主人公を演じることになった(ちなみにバウはこのフォックス社との契約でCall Her SavageとHoop-Laに主演したのを最後に引退)。主人公を見出しショービズ界での後見人的な立場を担う映画監督マックス・ケアリー役には自身が監督でもあるローウェル・シャーマン。D.W.グリフィスの1920年の作品『東への道』Way Down Eastなどで見せたようなプレイボーイ役のイメージが強いシャーマンだったが、この作品では一味違う演技をみせており、スターダムを駆け上がる主人公とは反比例するかのようにキャリアを破滅させていくスタジオ監督という物語上重要な役に存在感を与えている。

不道徳とスキャンダルが蔓延るハリウッドの内幕を描いたプレ・コード映画(狭義にはハリウッドの自主検閲制度であるプロダクション・コードが制定された1930年から本格施行される34年までに作られた映画のこと。サイレント時代から映画が描く道徳的退廃、性的ほのめかしと当時のアメリカ社会における映画文化への道徳的抑圧との激しいひしめき合いが特徴とされる)と聞けばセンセーショナルなものを期待してしまうかもしれないが、本作の物語は道徳的抑制が適度に効いたつとめて健全なものとなっている――すくなくとも表面上は。主人公はハリウッドでの夢をつかみ、健全かつ健康な青年との結婚、出産という社会規範が要請する「女のしあわせ」も手に入れ、夫婦仲の悪化とスキャンダルにもめげず、最後には家族の幸せを取り戻すという安全な(しかしいささかとってつけたような)ハッピーエンディングまでしっかりと用意されている。これには制定されたばかりのプロダクション・コードの影響もあるのかもしれないが、むしろ、コンスタンス・ベネットという主演女優によるところが大きいのではないだろうか。セルズニックが望んだ通りクララ・バウがキャスティングされていればスクリーンの内外から生み出される彼女のセクシーでスキャンダラスかつ退廃的なスター・イメージが観客による主人公の役の解釈を複雑にしたかもしれない(実際、バウが同時期にフォックスで主演したCall Her SavageとHoop-Laは典型的なプレ・コード映画と説明されることが多い)。しかし、サイレント時代のキャリアがほとんどなくイメージ的にはデオドラントなベネットが主演することで、本作品はサイレント時代との連続性というよりはむしろ断絶を強調しているように感じさせる。

とはいえ、プレ・コード期独特のコード化された道徳的・性的倒錯が皆無ということはもちろんなく、それらはハリウッドのダークサイドを背負い込む役どころであるケアリーに集中している。ケアリーが堕落していくのはアルコールのせいだとの説明が形式的にはされるものの、プールサイドで彼が黒人の女性メイドの手を引いてプールに飛び込んだり、主人公夫婦のアパートに夜中に泥酔して立ち寄ったあげく新聞紙に火をつけて放火しようとするシーンは、彼の社会的逸脱が飲酒という行為だけでは収まりのつかないものであることを示しているように見える。(すくなくとも異人種とプールに飛び込むというのは映画のシーンとしては当時としてはかなりきわどかったのではと思ったのだが、詳しいところはわからない。)また男性キャラクターが高齢なのに理由なく(死別したとか説明されずに)独身という設定は同性愛者であることをほのめかす一般的な手法なので、ケアリーのカフェや映画のプレミア会場での過剰に軟派な身振りと合わせて、彼がゲイであるとする解釈も妥当なように思われる。こうしたケアリーの存在と社会的逸脱は、物語が進むにつれて、主人公夫婦の仲を引き裂くものとして機能し始め(夫婦は別居し、夫は物語の中心から追いやられ、代わりに主人公とケアリーの絆というプロットが中心化し始める。異性愛恋愛というメイン・プロットの危機)、最終的にはケアリーの物語世界からの排除が主人公カップルのハッピーエンドを可能にする唯一の方法と説明される。その意味においてケアリーの自殺が物語のクライマックスであり、彼が自殺するシーンでの、多重露光など当時最先端の特殊効果とノイズのようなサウンドを駆使したスラヴコ・ヴォルカピッチによる実験的な編集は見どころだ。

この日のお客さんの入りがよかったのは、作品の面白さもさることながら、なんといってもナイトレート・プリントでの上映だったからだろう。可燃性フィルムの上映ということで開演前には「万が一の火災に備えて、前方後方5か所の出口がございます」と機内アナウンス風のお知らせで会場を盛り上げてました。上映されたものはオリジナル・プリントではないものの、1940年代にカメラ・ネガティブから作られたヴィンテージ・プリントで(と言ってたと思いますが専門用語が多くてあやふや)、セルズニックの個人コレクションだったとても貴重なものだとのこと。(k)

(2011年4月5日上映)

Cluny Brown (Ernst Lubitch, 1946)

                     

ロチェスターでもいよいよ雪がとけて、春が近くなってきました。
東北でも早く暖かくなって避難所での生活が楽になるといいのですが。

今日の映画は戦争という重い時代背景のなか痛烈ながらヒューマニズムに富んだコメディ
を作り続けた名匠Ernst Lubitchの作品。
この映画は彼の戦後初の作品、そして遺作ともなった。

日本語での紹介があまりみつからないため、まずは内容の要約から。

1938年のロンドン。
カクテル・パーティを前にして流しが詰まってしまった紳士の家に迷い込んだチェコの教授(Charles Boyer)に配管工の姪(Jennifer Jones)。「場違い」がキーワードのこの映画のヒーローとヒロインの場違いな出会いである。Cluny Brownという変った名前を名乗るヒロインはとても労働者階級には見えないファッショナブルな格好で、しかし大きなハンマーを豪快にふりまわして見事に流しを直してしまう。いかにも奔放な振る舞いをみせる美人のClunyは誘われるままにカクテルで酔いつぶれてしまうが、しつけの厳しい叔父の「場をわきまえろ」という口癖についてこぼす。すかさず口のたつ教授は、自分の属する「場」なんて相性の問題だということを説明するが、物語を通してたびたび登場する「リスに餌をやるやつもいれば餌にリスをあたえるやつもいる」という転倒した例を自慢気に語って聞かせる。他人の家で「場をわきまえず」に酔ってしまったClunyはその後Carmel卿の大屋敷に奉公に出されてしまう。他方、軟派な教授はじつは反ナチス知識人として亡命してきたBelinskiたる人物だと、パーティにきていたCarmel卿の息子によって明かされ、BelinskiもClunyの仕える大屋敷に居候することになる。

Cluny に惚れ込んだBelinskiだが、それとは気づかないClunyは村の薬剤師と恋におちてしまう。お世辞にも好青年とは言えない薬剤師のWilsonは「場をわきまえる」ことに徹底して生きているような男で、いわばこの映画の揶揄すること全般の象徴のような人物だ。彼女に感想を聞かれたBelinskiはきっぱりと「大波にゆられながらも勇敢に航路をさがす小船もあれば、風も波もない港にエンジンを切って碇を下ろしたタンカーもある。Wilsonは後者だ」と暗に否定的な意見を示すが、彼女は見当違いにもこれを好意的な意見だと理解して顔をほころばす。Lubitchらしい「すれ違いギャグ」の名場面だが、孤児として育ったという彼女が安定感を求める心境とそれをまったく理解できずに空回りをする教授の思考を対比するLubitchには、とても深い洞察力を感じる。結局婚約直前に「場をわきまえず」に勇ましく配水管を直してしまったClunyはWilsonとの結婚を棒にふり、急ピッチで物語はハッピーエンドに進んでいく。

今日のスクリーニングはLabor Seriesという外部のシリーズの一環だ。春季と秋季に地元の労働組合が企画するシリーズだが、労働問題のドキュメンタリーやフィクションばかりでなく今回のようなクラシックや昨年上映されたようなFrederick Wiseman の実験的な記録映画Balletなどをピックアップしているのがおもしろい。今日の映画には、差し迫る戦争の脅威にまったく鈍感に暮らすイギリス市民への皮肉やドイツからハリウッドに移住したLubitchの自画像ともいえる亡命者の教授など、とても多くの伏線が張り巡らされているが、「労働」あるいは「階級」という視点から見るとまた別の側面が浮かび上がる。たとえばClunyがお屋敷に召使として到着する際、電車の中で意気投合した紳士に送迎してもらうが、その紳士の友達と勘違いしたCarmel卿夫妻は彼女をとても親切にあたたかく迎える。こうした、「すれ違い」や「勘違い」によるギャグは、お屋敷を舞台にした(18世紀フランスのボーマルシェなどの喜劇の流れを汲む)映画には定番だ。こうしたギャグには少なからず階級意識への批判が隠れていることが多く、この場面でも屋敷への登場の仕方次第で扱いが大きく異なってしまう階級制度のばかばかしさが強調されている。しかし、彼女が召使だと気がついたときのCarmel卿夫妻の気まずそうな態度の変容ぶりと動揺と恥じらいが混ざるClunyの反応からはコメディよりは「場をわきまえる」ことを鉄則とした階級意識の非人間的な悲しさを訴えた社会派のメッセージをも感じる。
(2011年3月20日上映) S.O

The Doorway to Hell (Archie Mayo, 1930)

今月からAFI(American Film Institute)やTribeca Film Festival、Boston Asian- American Film Festivalなどで活躍していたLori Donnelly氏によるプログラムが始まった。記念すべく(?)第一作目はジェームズ・キャグニーの共演が光るギャング映画だ。NY生まれのアイルランドアメリカ人のキャグニーはギャング映画の名優になるが、この映画はデビューからたった二作目。Rowland Brownの脚本がオスカーにノミネートされるなど決していい加減な作品ではないのに、やはりキャグニー主演の『汚れた顔の天使』(1932)やギャング映画の代名詞的な作品『暗黒街の顔役(Scarface)』に比べて日の目をみない作品だ。Donnelly氏の紹介によるとこの映画のプリントは今のところDrydenが所蔵するものだけだということ。

やや劣化した画質でまず映し出されるのはVitaphoneの商標である。Vitaphoneはいわゆるsound-on-disc形式のサウンドシステムで、 Warner Bros.と提携して史上初のオールトーキー『ジャズ・シンガー』(1927)を打ち出したことで知られる。Sound-on-discとはサイレントの投影機に連動したレコードプレーヤーのようなものによって音を再生するシステムだが、レコードが飛べば当然シンクロが狂ってしまうという欠点を持ったもので、Warner Bros.も1930年でVitaphoneを打ち切っている(その後は現在のようなsound-on-film形式に移行)。つまり、今夜上映の『The Doorway to Hell』はキャグニーの好演やBrownのオスカー賞候補を別にしても、Vitaphoneによる映画の再後期作品として貴重な映画だと言える。もうひとつ時代背景で大切なのが禁酒法とヘイズ・コード(正式にはMPPC:The Motion Picture Production Code)だ。前者は1920年から1933年までSpeak-easyと言われる違法の酒場や密酒製造の文化と絡んでギャングの巨大組織化の基礎を作ったものだ。後者はやはり1930年(この作品公開の半年前にあたる3月より有効)から始まった映画の自主検閲ガイドラインだが、禁酒法がギャングの組織を生んだようにヘイズコードによる拘束は暴力や性描写を婉曲に画く様々な表現作法を生んだと言われる。なんにしてもこの二つの制度はギャング映画の土台となるものだ。
さて、本作品の内容だが、Lew Ayresの演じるChicagoのギャング頭目Louie Ricarnoが密酒製造者間の争いを終結させる大業をなし、フロリダに隠れて自伝を書こうとするというギャング映画としては変化球ともいえるものだ。キャグニーの演じるのはLouieの右腕であるMileawayだが、このキャラクターもただの有能な部下ではなくLouieの妻であるDorisと隠れて情事を持つ大胆な男だ。Chicagoで築いた財産で温和な日々をおくるLouieを再び争いが激化するなかで焦った酒造者たちはなんとか引き戻そうと苦心する。結果Louieの唯一の肉親である弟の誘拐を試みるが、思わぬ事態で彼を交通事故で死なせてしまう。映画の後半はLouieによる容赦のない復習劇だが、やがて刑事が動き出しDorisと恋人関係にあるMileawayの弱みに付け込み彼を逮捕し、一連の復習劇の犯人として供述させることになる。MileawayにとってはLouieがDorisとの関係を疑ることもなく、また彼に恩を着せることもできる魂胆だが、Louieもすでに逮捕・起訴されていることを知ることになる。大胆にもLouieは脱走してしまうが、実はこの脱走はLouieに潰された密酒業者一味による陰謀であり、ついに彼は追い詰められて死を覚悟する、というところで映画は幕を閉じる。ちなみにLouieはDorisとMileawayの関係にまったく鈍感で、取り囲まれた隠れ家の中で交わす刑事との会話で、彼の死後Dorisの面倒をみるようにMileawayに伝えてもらうよう頼んだうえ、刑事が皮肉をこめて「言われなくてもそうするだろうよ」などと切り替えしてもそれが友情の証だと勘違いしてしまうというように笑いを誘う。やや変化球気味ではあるが、クライマックスで刑事はLouieに「お前は社会悪だからこうして死んでもらうより仕様がない」などと言わせたり、そもそもギャングの栄光からの転落を見せるなどヘイズコードに迎合した内容であることも確かである。同様に、DorisとMileawayの情事も大胆に画かれる反面、やはり刑事がそのことを逆手にMileawayを追い詰めることで「悪事」は裁かれなければならないというヘイズコードの原則を守っている。ちなみにフロリダに逃れて自伝を書くというややスリルに欠ける内容は、映画のモデルとなったJohnny Torrioという実物のギャングの話にちなんだものだとのこと。(Torrioは有名なAl Capone以前に一世風靡した頭目

最後に余談だが、最近マンハッタンにギャングスター博物館がオープンしたというニュースを読んだ。BBCのインタビューにたいして博物館オーナーでありspeak-easy(禁酒時代の酒場)のオーナーの末裔を名乗る男は熱心にギャング文化がアメリカ文化の代表格であることを語っている。彼曰く、アメリカを支える自由(Liberty)という理想と法治国家として(ましてやピューリタン文化圏として)の法遵守という義務との葛藤をあぶりだすギャングという現象は、アメリカ文化以外なにものでもないとのこと。この葛藤は禁酒法によって激化されたものだが(酒を飲む自由とピューリタン的な禁酒法の束縛との葛藤)映画を例にとっても言論の自由と(ヨーロッパなどに比べて)厳しいレーティングによる束縛との葛藤として継承されている。
(2011年3月1日上映) S.O

West Side Story (Robert Wise, 1961)


マイナス18度の極寒の夜にRobert Wise監督Leonard Steinberg作曲による大傑作『West Side Story』(1961)を観た。

この映画は1957年にブロードウェイで大ヒットしたミュージカルを映画化したもの。劇場の臨場感を再現するかのように、Overtureがゆうに5分くらいは続く。この間スクリーンにはマンハッタンを抽象化したシンボルの静止画しか映し出されないので、自然と協奏曲に注意がうつり、視覚中心になりがちな映画の見方を正されているようだ。まだ映画は始まってはいないのに、この序章の音楽だけで、ずいぶん前にテレビで見たときの熱い感覚がよみがえてくる。この映画についてはすでに多くのことが書かれているが、ここでは主に声やアクセントについて書いてみる。

Lower Manhattanのスラム、なにもすることがなくたむろする不良集団。彼らはJets とSharks、つまりイタリア系(イタリアと名指しされていないが、いわゆるWASPではないことは隠喩されている)とプエルトリコのギャングにわかれてケンカにあけくれている。こうした物語の概要は、じつはたった五分ほどのダンスシークエンスで非常に効率よく紹介される。躍動感あふれる体のうごき。つねに集団全体の鼓動をつたえるようにリズミカルに指を鳴らしながら、一人から二人へ、また二人から四人へと彼らの鼓動が徐所にシンクロナイズされていく。音楽のピッチが少し早くなったと思うと、JetsにとってかわってSharksのメンバーが登場する。彼らも同じように指を鳴らすが、彼らのテンポは南米のダンスに合わせたようにリズムが早く、弾みもある。
この映画はこれまで何度か日本のテレビで放送されたのを観ただけだった。今回アメリカの映画館で観ていて、ミュージカル映画の表現の層が厚いことに感心した。映像のリズムや波のようにうちよせるオーケストラはもちろんのこと、アクセントと声質についてまで細かく演出が行き届いている。Jetsのメンバーは多くがアメリカ生まれの二世、そしてプエルトリコのSharksはいわゆる移民一世。Sharksのメンバーを演じる役者は必ずしも南米系ではないが、会話や歌はやや極端なスペイン語なまりの英語でなされる。Jetsのメンバーは労働者階級の訛り、今だったらブルックリン訛りとでも言うようなアクセントだ。

とりわけ面白いのはこの映画でロミオとジュリエットにあたるメインの二人、つまりイタリア系のトニーとプエルトリコ系のマリアがアクセントの面でも区別されている点かもしれない。トニーには軽い訛りしかなく、スラングを使うことはない。彼はPretty faceと揶揄される純真なキャラクターだ。マリアを演じるナタリー・ウッドスペイン語訛りは徹底しているが、ジェームズ・ディーン映画のなかで典型的なアメリカの若者を演じたりとあまりにラテン系とは異なるイメージが染み込んだ役者でもあることもあって、彼女の訛りにはどうしても少し尖ったものを感じてしまう。だがマリアという役柄の演出には、訛りよりも声質のほうが重要な役割をはたしている。マリアはいろいろな意味でほかのプエルトリコ住民と区別化されている。第一にはこの話は現代版ロミオとジュリエットであり、彼女とトニーは集団のロジックに収集されることがない個人としての愛を追求しなければならない。この二人は一身に冷戦期アメリカの自由というものを背負わされているとも言えるのではないか。とすると、マリアがおそらく唯一のソプラノであり、プエルトリコのアルトの女性郡から突出していることや、ほかのみなが半音落としたような歌い方(Cabaretやディナーショーで聞けるような語りかけるようなスタイル)が基本なのに対して、彼女とトニーだけが常にクラシカルな発声をするも納得がいく。
West Side Storyアメリカの階級や人種、そして性差をめぐる対立や葛藤をドラマツルギーやダンスを通して細かく描き出している。声質ということで考えると、男声女声だけでなくカストラートまでしっかりいることに気づく。もっとも実際にはカストラート(女声を持つ男性)の逆で、ギャングの輪に入りたくても阻害される男っ気のある女だが。彼女はつねに物語を左右する力を持つ立場にいるのだが、クライマックスではトニーにはっきりと「女らしくしろ」とつきはなされ、ヒーローとヒロインの間の誤解を解くことなく退場してしまう。

現代的な視点で見てしまうと、Sharksのリーダーであるベルナルドを演じるギリシャ系の役者ジョージ・チャキリスやマリアのメイクがあきらかに肌の色の濃さを強調していることに嫌気がさしてしまう。なにしろミュージカル映画の元祖『ジャズシンガー』では、ユダヤ人の歌手が顔に墨を塗って黒人の歌を歌うという内容で、黒人の動作やアクセントを茶化して真似る、奴隷時代から続くボードビルと呼ばれる演芸を継承したものだったのだ。もちろんいわゆるcross racial(異民族)キャスティングが必ずしも問題ではないし、この映画が提示するアイデンティティの問題は肌の色という一点でとらえることができない多層性を持つ。なにしろベルナルドの恋人を演じるリタ・モレノプエルトリコ系の女優として有名だが、彼女の登用にまったくcross racialな側面がないかといえば、それも正確ではない。彼女の歌声はなんと二人の歌手が吹きかえているが、Mami Nixon とBetty Warrelというアングロサクソンの苗字を持つ二人の吹き替え歌手が奏でるラテン系の歌や訛りは、ウッドのラテン訛りと同等の性質をもつ(参照)。またモレノもウッドとチャキリス同様に映画畑の人間であり、ブロードウェイから登用されたほかのSharksのメンバーとは区別されていることも重要だ。ミュージカルという総合芸術のなかでは自己完結型の個人という考え方は適さないのかもしれない。一人ひとりの気持ちを表現した歌はかならず集団の歌へと繋がるし、冷戦期アメリカの「自由個人」を体言したようなマリアの歌声は複数の人間によるものなのだ。ちなみにMami Nixonはモレノだけでなくウッドの歌もかぶせている。そのため、クライマックスで流れる有名な「Tonight」メドレーではNixon一人でウッドとモレノのデュエットを歌うというとても奇妙な状況をつくりだす。

West Side Storyの複雑な声やアクセントの演出はミュージカル映画というものの奥の深さを提示する。もっともこの映画は1930年代から続いたアメリカのミュージカル映画の流行がようやく終わるころに登場した異端な作品なので典型的なミュージカル映画とはいえない。最盛期のミュージカルの多くがMGMという巨大スタジオから排出されたのに対して、West Side StoryはMirisch Companyという少数精鋭の制作会社(『大脱走』や『紳士は金髪がお好き』など)とUnited Artists配給の作品なので、すでに最盛期のミュージカルとは距離を保ったオマージュだともいえる。ロミオとジュリエットというクラシカルな物語をギャング抗争や異文化の衝突という生身のあるセッティングに移した点では、ユートピア的な幻影の世界を作り出していた例えばVincent Minnelli のようなミュージカルの巨匠の作品とはずいぶん性質が異なり、ある意味ではヌーベルバーグやニュー・ハリウッドのような映画の伝統を捉えなおす運動の一環として考えられる作品だ。(SO)

Upstream (John Ford, 1927)

ジョン・フォード1927年の監督作品。長らく失われた映画と思われていたが、2009年にニュージーランド・フィルム・アーカイブに保管されていた75本のナイトレートプリントの中の一本としてアメリ映画芸術科学アカデミーのブライアン・ミーチャムらによって発掘され、アカデミーと映画を製作した20世紀フォックスの監修によりウェリントンのPark Road Post Productionのラボラトリーで修復作業が行われた。発掘された75本のナイトレート・プリントにはこのUpstream以外にもフォードのこれまた失われた作品である1929年の作品The Strong Boyの予告編なども含まれており、これらの貴重なプリントの修復プロジェクトは、国立映画保存基金の援助のもと、アカデミーに加えてアメリカの主要アーカイブ(ジョージ・イーストマン・ハウス、アメリカ議会図書館MoMAUCLA映画テレビ・アーカイブ)が分担してあたるという大規模なものとなったそうだ。フォード幻の作品発見として話題を呼んだUpstreamは、2010年の9月にロサンゼルスの映画芸術科学アカデミーで再プレミア上映され、その後ポルデノーネ無声映画祭でも目玉作品としてお披露目された後に各地シネマテークでの巡回上映となり、ついに(!)ロチェスターまでやってきたというわけだ。

映画はヴォードヴィル芸人たちが暮らすニューヨークの下宿屋を舞台にしたシチュエーション・コメディだ。(以下あらすじ)
ミス・ブリッケンリッジの経営する俳優向け下宿屋(ボーディング・ハウスと呼ばれる賄い付きアパート)にはさまざまなヴォードヴィル芸人たちが集まっている。ナイフ投げ芸人のジャック・ラ・ヴェルはコンビを組む的役の娘ガーティに恋しているが、ガーティには別に恋仲の男がいた。その男とは同宿するエリック・ブラシンガムで、エリックは名のある演劇一家の出身でありながら演技の才能に全く恵まれない、それなのに自意識だけは人一倍強いというなんとも残念なシェイクスピア俳優であった。下宿には彼らのほかにもエリックに日々見当違いな演技指導を行う長老的存在のMandare氏やタップ・ダンスコンビ「キャラハン・アンド・キャラハン」のふたり、自称姉妹コンビを組む母とその娘(!)、ジャグラー(フォードの兄であり彼自身ヴォードヴィル俳優でもあったフランシス・フォードが演じている)、黒人の若者(大道芸人だったか使用人だったか記憶が定かじゃないのだが、相当に問題のある人種表象がなされている)などが暮らしている。
ある夜、食堂でのディナーの最中、興行師がエリックに会いに下宿を訪ねてくる。なんであんな大根役者にとざわめき立つ一同。聞けば興行師はエリックの血統のネームバリューを利用して彼を主役にロンドンでハムレットの芝居を打ちたいと言うではないか。「君がどれだけ演技ができるのかは関係ない。ブラシンガムという名前が大事なんだよ!」本場ロンドンでシェイクスピア劇を演じるチャンスを得て舞い上がるエリック。エリックの思わぬ大出世にガーティは彼がこのヴォードヴィルの吹き溜まりから自分を連れ出してくれるのではと期待し、さらには彼の「あとで君にたずねなきゃいけないことがあるから」との言葉に彼の求婚を予感し、期待は最高潮に高まる。そしていよいよふたりきりになったとき、エリックはガーティに歩み寄り、口を開く。「よかったら僕の・・・僕の・・・・・・旅費のために50ドル貸してくれない?」期待を打ち砕かれたガーティは傷心して部屋にこもってしまい、エリックは一人揚々とロンドンへ向かう。
ロンドンでの舞台初日。極度の緊張から台詞を忘れそうになり不安でいっぱいのエリックであったが、Mandare氏の教えを思い出すことで自らを鼓舞する。いざ本番。すると、なんとも不思議なことに、アメリカでは大根と称された彼の演技がロンドンの観客には新鮮に映り、熱狂的に迎え入れられてしまう。鳴りやまない拍手。王室のお墨付きも得たエリックはセンセーションを巻き起こし、一夜にしてスターの地位に昇り詰める。
そのころニューヨークでは、ガーティは自分を置いて行ったエリックを忘れようとしていた。そんなとき、仕事上のパートナーであり自分に思いを寄せるジャックの優しさに触れ、彼の求婚を受け入れる。その様子をこっそり見ていた下宿の住人達はふたりを祝福する。トップ・スターとなったエリックにはアメリカへの凱旋帰国の企画が持ち上がる。エリックはそれなら自分が下積み時代を過ごした下宿を訪れて、凱旋する様子を撮影しようではないかと提案する。
ガーティとジャックの結婚パーティ。一同が楽しげに記念写真におさまっているところへエリックが登場する。ふたりの結婚のことを知らないエリックは、自分の凱旋を皆が祝っていると勘違いしてすっかり天狗になり、カメラの前で得意げにポーズをとってみせる。「このカメラは君を撮ってるんじゃないんだよ、エリック。僕たち結婚するんだよ」とジャック。事実を知ったエリックはあわてて自分への思いを取り戻そうとガーティに迫り寄るが、ジャックに階段から蹴落とされ、下宿の外につまみ出されてしまう。外ではエリックが引き連れて来たカメラマンたちが彼がつまみ出される様子を撮影している。格好の悪いところを撮られたことに憤慨しながら、エリックは情けない様子で下宿を後にするのだった。


大衆的なヴォードヴィルと高級な古典演劇、ニューヨークとロンドンといった文化的かつ地理的な対比から最終的には肯定される芸人コミュニティの物語にフォードの強烈なアメリカニズムを嗅ぎ取ることは可能だろう(そしてもちろん外なる他者としてのイギリスだけでなく、内なる他者としての下宿の黒人キャラクターがその白いコミュニティ幻想を強化していることも)。が、個人的に感じ入ったのは、それぞれの登場人物のキャラ立ちの素晴らしさに加えて、その簡潔にして見事な空間設計。例えば、最初の食事シーンでは、二階で練習中のタップダンスコンビの部屋の真下に食堂があるという一見極めてシンプルな垂直構造をとっているが、実際その垂直線上には、上から順に、タップダンサーが踊り、そのせいできしみ今にも崩れ落ちようとしている天井があり、その真下のテーブルでは男女の会話が進行し、さらにテーブルの下では何人かが足を使って誘惑に興じてる、という複数の階層化された空間が生起しており、同時進行かつお互いが複雑に絡み合うそれらの空間が効率的かつテンポよく繋がれひとつのシーンとして成立していく様には素直な感動があった。こうした過度のシンプルさが生むラジカルな魅力は、例えば、撮影セットのゴージャスさに溺れてしまった感のある三谷幸喜の『有頂天ホテル』には徹底して欠けているものではなかろうか。(k)

(2011年1月29日上映)


ひさしぶりの大発見とニュージーランド・プロジェクトと名付けられたフィルム修復プロジェクトの経緯については以下のリンクおよび動画でも詳しく知ることができます。

New Zealand Project Films, National Film Preservation Foundation:
http://www.filmpreservation.org/preserved-films/new-zealand-project-films-highlights


Love ‘Em and Leave ‘Em (Frank Tuttle, 1926)

ルイーズ・ブルックスがその人生の後半をロチェスターで過ごしたことを知ったのは、この町へ越してきてずいぶんたってからだった。
もちろんアメリカとヨーロッパをまたにかけながらサイレント映画史を鮮やかかつスキャンダラスに彩り、若くしてスクリーンから姿を消したこの神話的女優についてある程度の知識は持ち合わせていたつもりだし、2006年のポルデノーネ無声映画祭でその多くが失われてしまっている彼女の出演作品の回顧上映が行われたように、ここ数年、彼女の「再発見」が続いていることも何となくは知っていた。大学の映画史の授業が行われる教室にはブルックスの神話性を頂点にまで引き上げたG.W.パープストのドイツ無声映画パンドラの箱』(Pandora's Box, 1929)の小さなポスターが飾られ、イーストマン・ハウスではかなりの頻度で彼女の出演作品が上映されてはいたが、それでもアメリカ人のブルックス好きというのもなかなか偏愛に近いものがあるなと思う程度で、それ以上深く調べることもウィキペディアで生い立ちをチェックしたりすることもなかった。それに、まさかそのような女優が、いくら映画産業に縁のある町とはいえ、このロチェスターを晩年というにはいささか長すぎる時間(1956年から1985年まで)を過ごす場所に選ぶとは(町のひとたちには悪いけど)到底思いもしなかったので、ある人物との会話中、何かの拍子でブルックスの話題になったときに、引退後ニューヨークシティで暮らしてた彼女がイーストマン・ハウスの初代キュレーターであったジェイムス・カードに誘われる形でロチェスターに居を移したこと、そこで浴びるように映画を見ながら文章を書き始めたこと、その成果が彼女の素晴らしい自伝になったこと、そしていまではオンタリオ湖へ向かう途中にある美しい墓地に眠っていることを教えられた時はとても驚いたことを覚えている。

Love‘Em and Leave‘Emはその前年にパラマウント・ピクチャーズと契約を結んだブルックスが1926年に出演した6本(そのうち現存するものは4本)の映画のうちの一本であり、当時盛んに作られていた1920年アメリカに花開いた都市文化と新しい女性像を描くフラッパー映画だ。(ちなみにこの映画のプリントを所有しているアーカイブは世界でもイーストマンハウスだけだそうである。)
DVDなどでも入手可能(たぶん)なので物語の詳細を追うことは避けるが、この中でブルックスはニューヨークのデパートで帽子売り場の店員として働く姉妹の妹ジェインを楽しそうに演じている。ジェインには同じデパートで働く姉のイヴリン・ブレント演じるメイムがおり、二人は早くに親を亡くした孤児であることが観客に知らされるのだが、母親を亡くして以来妹の世話を生きがいとしてきたメイムが真面目で地味、恋愛においても保守的なのとは対照的に、ジェインは自由な恋愛と夜毎のパーティを謳歌する自由奔放な女性だ。姉の妹に対する思いをよそに、ジェインはメイムの留守中に彼女の恋人を寝とったり、デパートの女性職員組合の積立金を競馬のダフ屋(個性的な演技を見せているのはオスグッド・パーキンス。『サイコ』のノーマン・ベイツ役で有名なアンソニー・パーキンスのお父さん)にそそのかされて使いこんでしまったり、あげくにお金をなくした罪をメイムに押し付けようとしたりとやりたい放題の悪女ぶりを見せる。そんな妹の破天荒な行動にもかかわらず、メイムは妹の面倒をみるという亡き母との約束を忘れることはできず、ダフ屋の部屋に単身乗り込んで大乱闘の末にお金を奪い返すなどジェインのためにかいがいしく働くのだ(その間にジェインは「あなたのことが心配で一分たりとも楽しめないわ」と言い残して出かけて行った仮装パーティでなんとも楽しそうに踊っているというのに!)

当時の性規範からの大幅な逸脱、ヴァンプとそのファム・ファタール的要素、以後何度と繰り返される長椅子に身を横たえる妖艶な仕草、孤児という人物設定など、ジェインのキャラクターには後年ブルックスが築き上げるスター・イメージのいくつかをすでに垣間見ることができる。ブルックスのパフォーマンスに関する評価は、後に彼女の出演作のなかではより人気の高いBeggars of Life(1928)での虐待を受けていた義父を殺害したのちにホーボーに身を転じる主人公や『パンドラの箱』でのあまりにも有名なルルのキャラクターを通してリアリズム的な「内面の深み」(のようなもの)を獲得していった、またその「深み」によって演技力が増したと、というのが一般的なものだと思う。そうした点から見ると、本作では姉妹間の葛藤や孤児であることの説話的意味などが掘り下げられることはなく、ましてやジェインの自由奔放なフラッパー生活の背景(またはその深層)が説明されるわけでもないので、ジェーンのキャラクターは軽薄なフラッパーという枠内に安全にとどまっているようにも見える。しかし、いささか安易ながら、そのようなジェーンの深みのなさ、苦悩や葛藤の欠如こそがローリング・トゥウェンティーズと呼ばれた狂騒の20年代のジャンル映画と後の大恐慌前後から主流になるリアリズム映画を隔てるものだと考えれば、ブルックスはそのモードの差異に敏感に反応し、見事に順応して見せたともいえるのではないだろうか。とまれ、人生の悩みなんてものは姉に任せて、ひたすらに欲望に忠実であろうとする本作でのジェーンの底抜けの屈託のなさ(とその身体的な表明としてのダンス)は初期ブルックス映画の大きな魅力となっている。(k)

(2010年11月16日上映)

Screen Tests (1964-1966, Andy Warhol)

ひとつ4分間の「スクリーンテスト」を20本たてつづけに見るのはなかなか退屈だ。
ロチェスターではひときわ変わったプログラムを組むDryden Theatreでも、実験映画を見る機会はなかなかない。

重いカラシ色のカーテンに縁取られたスクリーンに映し出されるウォーホル・ファクトリーの煉瓦の壁。やはりウォーホルの映画は美術館で観るほうが違和感はないかもしれない。

数え切れないほどある『スクリーンテスト』は、現在すべてMoMAの管理下にある。1964年から1966年にかけてウォーホルは「ファクトリー」(彼のアトリエ兼サロン)の常連や訪問者の「スクリーンテスト」と称したポートレートを収集した。なるべく動かないように、というのがおおよそのコンセプトらしいが、なかには瞬きもせずに涙するひともいるものの、このコンセプトは往々にして忘れられていたようだ。より一貫性があるのはどのスクリーンテストも100フィートのフィルムの端から端まで使い切るかたちで撮られていることか。100フィートの16mmフィルムをボレックスのサウンドスピードで撮り(24フレーム/秒、2分45秒)再生はサイレントスピード(16フレーム/秒、4分)に引き伸ばす。すべての動きはほんの気持ちだけ引き伸ばされ、瞬きや唇をなめる仕草は独特のエレガンスを帯びる。まるでマリファナを吸っているようなゆったりした動きだ(ファクトリーではどっちかというとヒロポンが主流だったようなので、スクリーンに映し出されるゆったりとした雰囲気はより際立ったかもしれない)。

当時はファクトリーで適当に上映されたり、詩の朗読にあわせて上映されたりと、わりとカジュアルに上映されることが多かった『スクリーンテスト』も今ではMoMAの刻印がしっかり押された10本(10人)を一セットとしたリールで貸し出される。今回上映されたのは:

Reel 3
Henry Geldzahler
Twist James Rosenquist
Berverly Grant
Pat Hartley
Roderick Clayton
Tony Towle
Kyoko Kishida
Charles Aberg
Paul Thek
Gerard Malanga

Reel 25
Beverly Grant
Chuck Wein
Peter Hujar
Ed Hood
Ivy Nicholson
Jane Holzer
Brooke Hayward
Sally Dennison
Suzanne de Maria
Ann Buchanan

女優の岸田今日子は証明やフレーミングでデフォルメされることなく、とてもきれいに撮られていた。今回は見れなかったが、Dennis Hopperなどのプロの俳優やJim MorrisonやLou Reedなどの歌手のスクリーンショットもあるようだ。圧倒的な存在感を誇示したのはアメリカのアンダーグラウンド映画の女王Beverly Grantだ。自分の長い髪の毛をくもの巣のようにすくい上げ石像のように静止する。まるで石塊から身を脱そうとするミケランジェロのモーゼのような動静の緊張感だ。

ウォーホルの映画はできることならシネマテークでも美術館でもなく、もう少しローブラウなポルノ劇場などで見たいと思う。静まりかえった映画館でじっくり20人のポートレートを観るのも、哲学的な思考にふけったりするにはいいかもしれないが、どうもしっくりこない。逆にピッツバーグのウォーホルミュージアムのように、明るい部屋にたくさんならべられたスクリーンでウォーホルの映像作品を見比べるのにも抵抗を感じる。ウォーホルが『キス』をFilmmakers Coopで予告編のように上映したように、何週間かかけたシリーズとして、本編の前に上映できたらおもしろいと思う。MoMAの10本1セットというパッケージがあるため難しいかもしれないが。